その分析がただ決断をいたずらに遅らせるだけで結局生産性を低下させる状況であるにもかかわらず
学者じみた厳密すぎる分析を辞められないのならそれはジェネラルに「頭が良い」と言えるのか
…とか問いだすと「場合によって判断が出来るのが本当に頭のいい人間であって…」みたいな再定義をどこまでもしてくことになるし
実際日本人はそんな話ばかり延々やって来た感があるがそんなパーフェクトな人間はいないから
最初から「人には適性というものがある」ですませた方が社会の共通認識としては合理的なんじゃねえのというお話
Permalink | 記事への反応(1) | 08:33
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分析するべきところと、そうでないところを見分けるのも経験だよ。 そこを「マネジメントに適してない上がらくするためにわかりやすい尺度でやろうとして」ダメダメになってるのが...
だからそういう「凄い人間ならあれもこれも出来るはず」みたいな万能論にすがっててもしょうがないんだってば 適材適所に配置された大多数の「AができるけどBは出来ない人間」はレ...
万能者じゃなくて、人を見分けて、適材適所と、適切な仕事量と、予算を確保する人間な。そいつ自身が現場作業をするのは最終手段。