2018-11-17

anond:20181117141815

信仰という表現は、べつに宗教を指して書いたわけではない。

もっと広い意味信仰で、たとえば「こう生きるべき」という規範意識をもって、「よく生きた」という自覚がある者は、死をそれほど恐れなくなる。

そういったもの信仰一種である。信念と言ってもいい。

特攻隊に志願して死んでいった人たちも、そういったある種の信仰、信念、祈念があったから死を厭わなかったのだし。

そういった強い意思もつ機会が、安穏に生きている一般の多くの人にないのは当然であるし、よいことでもある。

から人が死を忌避することに対して、私は肯定的に考えているし、自然自己保存の本能だと捉えている。

記事への反応 -
  • 世間のみなさんが、それほど生きる喜びに満ち溢れてるようにも見えないんだけどな 政府ポジションなら税収低下を忌むし、経営者ポジションなら労働力低下を忌む、というのは理...

    • 逆に考えてみよう。死を忌まないのはどういう人間か。 それは、信仰をもつ人間である。 つまり、信仰を持たない人間が、死を忌避するようになる。 忌避が一般化しているとしたら、...

      • 流石に極論すぎない? ときに宗教者が死を厭わぬことがある、というだけで、宗教者全てが死を喜ぶわけじゃないでしょう

        • 信仰という表現は、べつに宗教を指して書いたわけではない。 もっと広い意味の信仰で、たとえば「こう生きるべき」という規範意識をもって、「よく生きた」という自覚がある者は、...

          • なるほど理解出来た、ありがとう。 確かに、ある種の信念や規範意識に充足することで死を忌諱しなくなる現象は在るように思う。 生死よりも大切な何かのために生死を問わなく...

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