2018-11-17

anond:20181117144219

なるほど理解出来た、ありがとう

かに、ある種の信念や規範意識に充足することで死を忌諱しなくなる現象は在るように思う。

生死よりも大切な何かのために生死を問わなくなる、

あるいは生死より大きな価値を得て満足したために生死が取るに足らないものになる、

といったところだろうか。

すると、生死を超越するほど強力な信念や規範の無い人々にとって、生には普遍的価値があり死は無価値になるのかな。

私にはそんなに強力な信念や規範は無いが、かと言って生に普遍的と言い切れるほど強い価値を感じたことも無いので

「死を口にすることが憚られるほどの強力な価値である生」とはどういうものなのか、見聞きしてみたいんだ。

記事への反応 -
  • 世間のみなさんが、それほど生きる喜びに満ち溢れてるようにも見えないんだけどな 政府ポジションなら税収低下を忌むし、経営者ポジションなら労働力低下を忌む、というのは理...

    • 逆に考えてみよう。死を忌まないのはどういう人間か。 それは、信仰をもつ人間である。 つまり、信仰を持たない人間が、死を忌避するようになる。 忌避が一般化しているとしたら、...

      • 流石に極論すぎない? ときに宗教者が死を厭わぬことがある、というだけで、宗教者全てが死を喜ぶわけじゃないでしょう

        • 信仰という表現は、べつに宗教を指して書いたわけではない。 もっと広い意味の信仰で、たとえば「こう生きるべき」という規範意識をもって、「よく生きた」という自覚がある者は、...

          • なるほど理解出来た、ありがとう。 確かに、ある種の信念や規範意識に充足することで死を忌諱しなくなる現象は在るように思う。 生死よりも大切な何かのために生死を問わなく...

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