"察し"の文化は良くシステムが回れば幸せかもしれないけれど,悪くそれが回ると地獄になる.
なぜなら,なまじっか言葉にしないせいで少し解釈がずれるとたちまち疑心暗鬼の世界になってしまうからである.
もし,"察し"によりもたされる幸せと不幸が同量だったとしても,質的な話をすれば人間は不幸の方を過大評価してしまう.(cf. 行動経済学)
したがって,"察し"の文化は避けるべき因習である.
その代わりに,伝えたいこと・思ったことはもれなく言語化した方がいい.
不満や直してほしいことはもちろん,幸せだと思ったり料理が美味しいと感じたりしたときはちゃんと言葉にして相手に伝えるべきである.
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