「幸福を目指すのをやめた」というのは「不幸になる」という意味ではないぞ。不幸とか幸福とかいう評価尺度を利用するのをやめる、という意味だ。だから俺自身が君たちのような「正常」な人々から見て幸福に見えるのか不幸に見えるのかは分からないし興味もない。あえて言えば、客観的にはそれなりのエリートコース()で仲の良い配偶者もいて「ちゃんと」やっているように見えるはずなので、「幸福」とみなすのかもしれないけどね。
うーん、こう書くと「自虐風自慢」としか取ることができないのが「正常」な感覚だろうというのは分かる。そういうことではないんだけど、この時点でもう聞く耳を持てないだろうということも分かる。伝わらないとは思うけど、これでも随分長い間悩んで色々なことを考えて、「幸福」という概念がそもそもの根源的な問題だという結論に至ったんだよね。だから俺はその尺度を捨てることに納得しているし、納得感は幸福よりも自分にとって重要であると考えているんだよね。
個人の幸福の定義によって変わる
それがポイントの一つだと思う。「幸福」は定義が曖昧過ぎるので、その単語を持ち出した瞬間に議論の解像度がほとんどゼロみたいになる。超粗い位相(数学用語)みたいなやつ。
どうでもいいが私腹を肥やすんじゃなくて救国とかそういう方向で頑張ってほしいもんだな まあどうせひたすら金をためるみたいな目的しかないんだろうけどさ