国語辞典を見てほしい。「幾人」という言葉はそのままでは「何人」と同じように、人数がどれほどか尋ねるために使われる。「幾人を死にまで至らしめたことについて」という部分は端的に言って意味不明だ。
「幾人か」という形になると比較的少人数を表し、「幾人も」で大勢を表す。文意から判断するに「幾人も」と言いたかったようだが、なれない言葉を使ったからこのような間違いをしてしまったのだろう。
「たくさんの人々」や「大勢」というわかりやすい言葉の代わりに「幾人」というかっこいい言葉を使いたい気持ちはわからないでもないが、今度からは使い慣れない言葉を使うときは辞書を引くようにしよう。
更に言うと、「幾人」という固い言葉を使ったあとに「ごめんなさいと言えないのだ」というかわいらしい表現が出てくるのはあまりにもギャップが大きすぎる。ここは「謝罪できないのか」など「幾人」に合わせた固めの表現を使うべきだったろう。
「これはああ言えばこう言うのうちのひとつ」という書き出しもいただけない。固めの表現にこだわるのであれば、「うちのひとつ」も「一種」などとして雰囲気の統一をはかるべきだ。
「坂村健の目:被ばく影響、科学界の結論」という記事がはてブでは人気のようだがこれはそんなに良い記事だろうか? 福島について人々が不安を口にするのは「一部の専門家といわれ...
これはああ言えばこう言うのうちのひとつ。 どうして風評によって福島の人々を苦しめて幾人を死にまで至らしめたことについて、ごめんなさいと言えないのだ。
国語辞典を見てほしい。「幾人」という言葉はそのままでは「何人」と同じように、人数がどれほどか尋ねるために使われる。「幾人を死にまで至らしめたことについて」という部分は...
ほとんどタイポみたいなもんなのによくもまあ長々と。