残念ながら「成熟」と「差別」は親和性が高い概念である、と言わざるを得ないと思うわけだ。
だから世が「政治的正しさ」を志向するリベラル社会となるほど「成熟」というものの価値は下がってしまう。
よって「政治的正しさ」が浸透した社会では「○○~は未熟」「大人になれ」的な言説で他者を説得する行為は、全く無効となってしまうのだ。
ここら辺のことを、「政治的正しさ」をモットーとしてる方々や、リベラリストな方々がどの程度認識しているのか、イマイチ疑問であるが…
Permalink | 記事への反応(1) | 14:07
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成熟は見方を変えると腐敗だからな