ディランですらまだ納得しきれてないのがあの文章から見て取れた。
「あいつらがそうやって評価した。俺はよく分からないがあいつらの中ではどうやら俺の歌は文学のようだ。俺は知らない。あいつらがそうやって評価したという事実を俺は受け取りに行くだけだ。俺は俺の歌が文学なのかまだ迷っている。あくまであいつらが俺の歌を素晴らしい文学だと評価したというその事実を受け取るだけだ。俺はまだ自分の歌が文学だと認め終わったわけじゃない」
あのコメントはそういう予防線だ。
受賞したはずのボブ・ディランにわざわざ予防線を張らせてしまったのだ。
これが果たして成功といえるのだろうか。
ノーベル賞という儀式に世間の目をもっと集めたいという欲望にボブ・ディランは利用されただけなのではないだろうか。
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