死や無、自分の存在の無意味さを、克服または飼い慣らしなだめつつ生きる理由を、自分の内側から見出さない限り
配偶者だろうが腹を痛めて産んだ我が子だろうが、趣味だろうが無趣味だろうが、心のスキマを埋めるための「埋めぐさ」でしかない、それらは並列物でしかないんだよなぁ。
子供が絶対的な存在理由になると本気で思い続けたら毒親一直線だ。子供ったって他人なんだから。
それに、自分を受け入れてくれる配偶者だって、離婚しちゃえば赤の他人。
叩かれている増田は、それに気付いているだろうか。
ただのマタニティハイなら幸いだが、夫依存の自覚はあるらしいから。
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