循環するわたしの身体。
このあかるい午後に、光をとりこみ、呼吸をして、ただ生きている。
終わりが来れば、からだは朽ちて、新たな循環にとりこまれる。
草木は自然のうつろいとともに朽ちていくのに、
ひとの身体はどうして、あらがうように醜く朽ちるのだろう。
ひとの自我が、自然の循環をこばむのか。
世界はそれぞれの循環をもってめぐりゆくのに、
わたしの自我だけが、世界と溶け合わずに、ベットの上に横たわっている。
透明で、はっきりと形をもった自我は、世界にあらがうばかりではなく、
この自我ひとつ守るために、世界の終わりのスイッチさえ、ためらうことなく押すだろう。
たとえそれが、わたしを含め、ほかに生きるものの、すべての循環をうばってしまうとしても。
だからこんなあかるい午後は、静かに目を閉じて、自我を世界になじませてみる。
身体の呼吸するままに、夜が来るのをまつ。
(このポエムは晩酌の残りをつまみながら10分で書かれました)
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