2016-05-01

循環するわたしの身体。

このあかるい午後に、光をとりこみ、呼吸をして、ただ生きている。

終わりが来れば、からだは朽ちて、新たな循環にとりまれる。

草木自然うつろいとともに朽ちていくのに、

ひとの身体はどうして、あらがうように醜く朽ちるのだろう。

ひとの自我が、自然の循環をこばむのか。

世界はそれぞれの循環をもってめぐりゆくのに、

わたし自我けが世界と溶け合わずに、ベットの上に横たわっている。

透明で、はっきりと形をもった自我は、世界にあらがうばかりではなく、

この自我ひとつ守るために、世界の終わりのスイッチさえ、ためらうことなく押すだろう。

たとえそれが、わたしを含め、ほかに生きるものの、すべての循環をうばってしまうとしても。

からこんなあかるい午後は、静かに目を閉じて、自我世界になじませてみる。

身体の呼吸するままに、夜が来るのをまつ。

(このポエム晩酌の残りをつまみながら10分で書かれました)

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