やー僕は別に意識低くのんべんだらりといきてるんですが、意識高い人たちというのはやっぱり偉いなとおもうのですよ。何かよっぽど吐き違えていない限りは。実力がなかったって、実行が伴わなくったって、高い意識を持ってれば低い人よりかは何か得られるものがあるんじゃないかなと思いますし。
そういう人たちのことを暑苦しくて鬱陶しいと思うことは僕としても少なからずあります。それでも今思うのは、職場で自席で普通にタバコを吸っていたり、セクハラが黙認されていたり、同性愛者や外国人に差別用語を平気で使っていた時代ですよ。遠い例で言えばアメリカの黒人差別のあった時代でもいい。
当時そういうものをなくそうとした人たちは、きっと暑っ苦しい人だったろうなと思います。
そういうことを考えると、今の意識の高い、暑苦しい/鬱陶しい/気取った価値観や態度の人たちの考え方は、きっとこの先のスタンダードになっていくのだと思います。もちろん吟味することは必要ですが、そういう価値観や概念を反射的に茶化してバカにして距離を置いてしまう人を、僕はあまり好きにはなれません。
ここまで書いて思ったけど、僕は何と戦っているんだ。
本当は羨ましい・妬ましい気持ちがあるのでは? つまり戦っている相手は自意識。
自意識はなるほどその通りだと思う ただ僕の心がざわざわするのは「差別」「茶化し」「黙認」っていうあたりのワードだから羨ましいとか妬ましいとかはちょっと違うような気がして...