言葉が移り変わっていくものってのは知ってるんだけど、
それでもマスコミの使う号泣って言葉の違和感を拭えない。
号泣:[名](スル)大声をあげて泣くこと。泣き叫ぶこと。「遺体にとりすがって―する」
ってことだから、本来は声を上げてからじゃないと号泣にはならない筈なんだけど、
ちょっと涙を流しただけでも「予選敗退に○○号泣」とかよく見る。
正しく「予選敗退に○○涙」とかにして欲しいけど、記者的にはインパクトが足りないのかね?
売り上げその他のために、日本語が変わってくのはなんとなく嫌だなー、と思う。
爆笑とか姑息みたいに本来と違う意味の方が一般的になった言葉も多いし、泣く=号泣になるのも時間の問題?
そうなったら号泣を上回る泣きっぷりってことで野々村クラスは慟哭会見とか言われるんだろうか。
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