2014-12-10

どこそこがなんとかで、不幸と災い

被災地とか想定外災害とか

生々しい現状はリアルタイムで見ると記憶に残る。

けど、時間が経つにつれその原因の責任者がどうのこうの、当時ああしてたらどうのこうの。

結局、他人のフンドシで利益を貪るハイエナだらけになっていく人類歴史が続く。

自分のいる時間は今もあしたもむかしも・・プロットの積み重ねだけど何かが変わる?

他人の肥やしになるような不高度はどこで変動するか予測できないから、いつ誰かの餌になるのかとか時々思うな。

開き直ってどうでもいいと思うことだけど、結局大規模災害ネタ提供者でしかならない。

そして、そういう当時の興奮をいまの愉悦度に変換して喜ぶ死体蹴り連中も、自分もおなじ生命体。

基本、我々は他人の不幸を喜んだり悲しんだりして呼吸して時間を食べるサンプルのような気がする。

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