「マナー」の存在意義に疑問を持つ機会なんて誰にだってあるだろうに、それを表明すると、マナー擁護派の中から必ず出てくるんだよ。
「育ちが悪い」っていう最低な言葉で相手を批判する人がさ。
「長いものに巻かれるのも合理性のうちだよ」「伝統の中にはこういう意味もあるんだよ」とか言えばいいのに、
「育ちが悪い」
これを言う人は、自分がサノバビッチ級の罵倒語を使っていることに気づかないどころか、むしろ自分が上品な側の人間だと思い込んでいる。
自分はけっこうマナーを厳しく教えられ、異文化の食事作法を調べて楽しんでたりもしたんだが、それが「文明人」と「野蛮人」を分けるためのツールとして使われるなら、いっそみんな野蛮人になってしまえばいいとさえ思う。
だいたい、「いただきます」を欠かさない人の半分ぐらいは、食べ物やそれを提供してくれる人への感謝なんかより、野蛮人認定されることへの恐怖で言ってるんじゃないの? 今まで手を合わせずに軽く「いただきます」って言ってた人が、「やばいい、この風潮だと、これだけじゃ野蛮人認定される」と思ってあわてて手を合わせるようになったりしてるんじゃないの?
おまえは育ちが悪そうだな。 「いただきます」をいう人は育ちが良さそうに見えるから言ってるんだよ。
「マナー」の存在意義に疑問を持つ機会なんて誰にだってあるだろうに、それを表明すると、マナー擁護派の中から必ず出てくるんだよ。 「育ちが悪い」っていう最低な言葉で相手を批...
「育ちが悪い」という言葉をサノバビッチ級の罵倒語だと判断出来るだけの頭はあるのに、「食べ物やそれを提供してくれる人への感謝なんかより、野蛮人認定されることへの恐怖で言...