抽象的かつ論理的に考えると、思想的な教条主義とか、反差別主義とかの果てにあるのが性の肯定なんだけどね。
性に対する嫌悪感自体が、公益から考えて極めて非合理的で反社会的なものとなる訳で。
そこを制作者側が最もコンプレックスを持ってしまって、故に普段から教条主義・反差別主義的なもの(フェミニズム等)を敵視している。
これは反骨精神というより、例えば先生や親への反感の延長なんだよね。
いわゆる反規制運動が広がらない遠因じゃないかと。
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