2013-06-18

http://anond.hatelabo.jp/20130618163014

つまみ者さん(と呼ばせていただきます。ご本人がそう名乗っているので)、バラードを歌っていただきありがとうございました。悲しい歌ですが、哀歌として聴けるいい歌だと思いました。

 

ただ、私にはわからないことがひとつあります。鼻つまみ者さんは、いじめられた時に罪を犯していません。なのにどうして鼻つまみ者さんは自分を恥じているのですか? 恥じるべき罪を犯した人は、鼻つまみ者さんをいじめた人たちではありませんか? それとも鼻つまみ者さんをいじめた人の行為は、実は鼻つまみ者さん自身の願望で、誰かをいじめたいという自分の願望に対して恥じているのですか? 

 

つまみ者さん、どうしてあなたは人を信じられないのですか? 自分承認してくれるなら誰かが苦しんでもかまわない、そういう自分残酷さに良心の呵責を感じているのですか? そもそも結婚しているのに、なぜ人を信じられないのですか? 結婚した相手から愛されておらず、相手を愛さないまま結婚したのですか? 結婚した相手の愛情を信じることができないという自分の罪の意識から逃れられないのですか?

 

もしも、鼻つまみ者さんが、いじめの願望を持つ悪人だったとしても、良心の呵責を感じても誰かをいじめたいという願望を持つ人だったとしても、結婚しても人を信じられない人だったとしても、そして、私が鼻つまみ者さんのいじめの対象だったとしても、私は、鼻つまみ者さんを憎むことは無いでしょう。そして、私は、いじめられても、裏切られても、自分幸せになることをあきらめないでしょう。決して。

 

つまみ者さんは、すでに十分苦しみました。ですから、鼻つまみ者さんがなにか恥じることをしていたとしても、幸せになる資格を得ています。もう苦しむ必要はありません。

 

つまみ者さん、あなたはもうすでに幸せを手にしています

いじめる側が与える「幸せになってはならないという」という暗示を、いじめられた側が自分で解くことは難しいと言われますが、いまこの文章を読んだ瞬間、鼻つまみ者さんの暗示は完全に解けました。もうあなた過去のことで苦しむ理由はありません。

 

胸を張って生きてください。鼻つまみ者さんに罪はありません。いじめられた側に罪はありません。

つまみ者さんを信じ、愛する人は、目の前にいます。だからあなたも人を信じられます幸せになることだけを考えて生きてください。

幸せになること、それが一番大切なことです。

 

闇の中でも、赤い薔薇は赤い。

正義はあります。ここに。

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