規制なり廃止なりされてからも文句を口にしたり不平を述べたりはするけれど何もせず、
ただただなすがままにぼんやりと全てを受け入れてしまう姿勢は卑怯と断ずるに相違ない所業なのでしょうか。
野次は上げるけど舞台には上がらず、声がうるさいと殴り合う群衆を眺めながら、観衆然としてへらへら笑っているのは愚か極まりない態度なのでしょうか。
刹那的に過ごしているわけではないけれど、あるがまま変化する潮流に身を浸している。
無論、全ての事柄に対して当て嵌まることではないのですが、部分的に当て嵌まることでもあるので気になるのです。
善いことなのか。悪いことなのか。
疑問を抱いている時点で結論には至ってるも同然ではあるものの、道徳倫理から切り離された無責任が頭を持ち上げてしまうのです。
束縛された自由を求める鳥は滑稽で哀れです。その試行は崇高で愚直で、またある程度ではどうでもよくて。
事態に際して、時たまそのように見做してしまう思考の不備が実に情けなく、どうしようもない存在であるように思えてならないのです。
端的に申し上げれば、思考の停止した愚鈍に他ならない自己が疎ましいのです。
あるいはただ単に行き詰まっているだけで、退屈に耐えかねて、目に見える形での変化を求めているだけなのかもしれない。
こんなにも世界は目まぐるしく変わっているというのに!