2013-01-22

いじめ拡大解釈をする輩がむかつく。ある問題が俎上に上がっていたとして、そこに無遠慮にいじめの文脈を持ち込んでくる人間が本当に腹立たしい。

反論の口上として成り立っているつもりなんだろうけど、問題を複雑にしているだけってことに気がついてないから厄介なのだ

そりゃ延々と問題を取り上げていたい人たちからしたら、素敵な着眼点かもしれない。でもその着眼点を持ち出したことによって解決への足がかりが閉ざされてしまっている。

話し合いは、すればするほど膠着してしまうことが多いのだ。最終的に、妥協せざるを得ないことが多々出てきてしまう。

妥協。この選択こそ、何よりも苦しいのだ。善悪を二分し、正義の名の元に判断を決する方がよっぽどストレスがないし、楽だし、気持ちがいいのだ。

苦しみばかりを重ねた議論の末に着地する結論なんだ、わだかまりなく、すがすがしく終わりたいものじゃないのか。

いじめを議論に持ち込んでいたずらに場を混乱させる輩は、何を持って結論とするのか。もっとよく考えてみた方がいいんじゃないかと思う。

もちろん、複雑だからといって考えることが無駄だとは言わない。結論が両極に振れないからといって、その議論の意味がないとは断じて思わない。

たとえ根本的に解決できなくても、多大な問題を、端緒だけでも切り崩せたのなら微細ながらも成果は上がっているのだから

ただ、だからといって氷山を持ち上げてどう砕こうか語る必要はないはずなのだ。それぞれの側面から切り崩していければ、それでいいじゃないか

あるいは、もう問題そのものが崩しに崩しきった氷山の残骸なのかもしれないな。だから切り口がぶつかり合いのだし、複雑な思考をして妥協点を見出さないといけないのかもしれない。

そういうのが苦手な馬鹿は、俎上に向かい合わなければいいんだよ。きっと、熱意ある賢い人たちが綺麗に切ってくれるはずだもの

もう黙って見守ってればいいんだよ。むしろ減らず口を叩いてしまったことを詫びなきゃいけない気がするよ。

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