横だけど
「個人の成果」と「その個人が所属するコミュニティの成果」みたいなことは
矛盾しないしお互いを排除しないじゃん。
俺はある部活動で全国まで行ったけど
それは俺の業績であるとともにチームみんなの業績であり
地方大会で戦った学校のことも全部あわせてまさに俺たちは県の代表だったよ。
なんかどっちかを認めたらどっちかが減る、みたいな発想が理解できない。
何かに打ち込んでそれなりのラインまで行く、っていう体験をしたら
やっぱり自分の地盤や出自や身の回りのいろんなものに支えられて
むしろそれが重くなる場合もあるけど。
「個人の業績」とか「俺の業績」なんてことだけに拘る人は
何かをそれなりまで成し遂げたことが一度もない頭でっかちな人か、
斜め右前だけど 君のチームメイトも、君と戦った他校の選手たちも、監督も教師も家族たちも、 全員が「みんなの名誉っていう感覚がどうしても湧いてきちゃ」ってたの? いきなり見...
いきなり見ず知らずの人が現れて「○○県民の勝利だな!」とか言ってきたとき、 「いままで俺たちのこと知りもしなかったくせに」なんて思わない? それはあなたがわざと異様...
いきなり見ず知らずの人が現れて「○○県民の勝利だな!」とか言ってきたとき、 「いままで俺たちのこと知りもしなかったくせに」なんて思わない? ○○県民は素晴らしい県...
そういうのってどこまで本人の責任なんだろうね 人生や環境に恵まれてこなかったら前者っぽくなるだろうし
恵まれてても無自覚な人もいるよ。 再配分の問題でもめるのもそのせいでしょ。
前者が存在するのも事実だしねぇ・・・
牽強付会ではなく(彼の前者分析自体はバッチリ当たってるから) 恵まれている自覚と感謝が少々足らない感あり