証拠や事実による原因が正なら、正当化は当然だろう。寧ろしないとつけこまれる
自分の内面やら相手が原因やら持ち出すからぐちゃぐちゃになるんだよ
証拠や事実による原因究明で済む話
僕はゲイでもホモでも無いが、それでもゲイ・ホモ的作品にはある種の親近感を持っている。
こういう話をすると「You are ガチホモ?」
って聞かれるけど、僕は必ずこう答える「No, I'm not ガチホモ.」ってね。
ではなぜ僕はガチホモ作品を見ちゃうのか。
これによく似た感覚があった。
確か、高校生クイズを見たときだ。
超絶難しい難問をスラスラ解いていく高校生を見て、僕は「すげぇなぁ」と思いながらも、
ニヤニヤしながら、それを見ていた。そのときの感情に似ていた。
自分と関係ない世界を覗き見て、その世界の常識のシュールさに触れて、楽しみたいのだ。
そういった意味では、僕は歪んでいるのかもしれない。
CMで人気タレント使って人のもの勝手に使うとかいうのおかしいって思ってよ。
いちいちこういうの反応するのもめんどくさい奴だって思うけど、
なんか、それが普通になってるのおかしいんじゃないかって感じた。
エロゲはAppStoreじゃ売れないからなー
というかどのプラットホームでも公式マーケットじゃ売れないだろう
だからPCにしか留まれないと思う
簡単な画像や音楽、動画がテキストに連携できて、選択肢による分岐ができるような電子書籍の環境が、
広く一般に普及するようになったとき、ヴィジュアルノベル形式のエロゲは全部そっちに行っちゃうんじゃないか。
それとも、そんな状況でもPCにとどまり続けるんだろうか。
会社が株主優待で商品券を渡すとき、株主の中には「そんなことする金があったら財務状態良くしろ」という人もいるだろう。
でも、顧客が「株主だけ優待されて不公平だ、俺にも商品券渡せ」と言っても、別に相手にする必要はない。
経営者が利益の範囲内でステークホルダーの利害にある程度配慮するとしても、会社の利益に反してまでは配慮しない。
だからと言って、顧客から「俺も株主総会に参加させろ」と言われても、「じゃあ株券買ってくれ」としか言えない。
これを、国に置き換えて考えてみる。
首相・閣僚が取締役で、選挙や国会を株主総会として、国籍を株券のようなものとする。
で、外国人を顧客や近隣住民、いわゆるステークホルダーと考える。
国が社会福祉で何かの給付制度を作るとき、国民の中には「そんなことする金があったら財務状態良くしろ」という人もいるだろう。
でも、外国人が「国民だけ給付されて不公平だ、俺にも給付しろ」と言っても、別に相手にする必要はない。
政府が国益の範囲内で外国人の利害にある程度配慮するとしても、国益に反してまでは配慮しない。
だからと言って、外国人から「俺も選挙に参加させろ」と言われても、「じゃあ国籍取得してくれ」としか言えない。
うーむ、いかにも「2chで書き込まれてはてブで叩かれてそうな」文章になってしまった。
強いて言うなら謝るのは罪
テレビで電子書籍について報道していたので、またいろいろグダグダと書いちゃうぞ~。
という軽いノリで。酒飲みながら。
今まで散々それに該当する商品は世に出ていたと思う。
分岐はあるけど文字であり小説でありエレクトロである点を考えると
小説をPDFにしてダウンロード販売していたサイトだってある。ボイルドエッグとか。滝本竜彦は元気かな。
でも、そういう一連の流れは無視されて、
キンドルやipadと連動する書籍のみが、『電子書籍』として認知され、
『黒船』として恐れられている。
その違いは一体何なのか。
いろいろ考えたけど、最終的にはやっぱり『形』かな、と。
考えてみれば、『本』は非常に優れた形状と質量を持っている。
どこへでも持ち運びできるし、いろんな体勢で文字を読むことが出来る。
寝転がりながら。椅子に座りながら。飯を食いながらでも読める。右手に箸。左手に本。
ハードカバーでは多少きついけど。
これまでの『電子』な『書籍』は、その点を考慮していなかった。
ゲーム機やパソコンなどといった端末で再生され、可搬性や可読性については議論さえされていなかった。
それがキンドルの登場で変わったのだ。端末自体が変わったのだ。
そしてipad。そして、さまざまなメーカがipadを真似し始めている。
これは凄いことになりますよ。出版社さんは覚悟したほうがいいですよ。
「ネット上の動画展開はまだまだ先のこと」と思っていたらYouTubeの登場で慌てふためいた
こういうパラダイムシフトは、マジで予期しなかった時期にいっきに来ますよ。
音楽業界は、もはや目も当てられない。もっとも~、これはこれで面白いけ・ど・ね!(ファッキュー!)
まぁでも、パラダイムシフト自体が悪いことではないですからね。
むしろ、新しい文学の可能性も否定できないわけですよ。
文学の可能性というか、文字の可能性ですね。
『文字の可能性』と聞いて思い出すのは、やっぱり2001年に起きたテキストサイトブームですかね。
あれは面白かったわけですよ!あれだって一種の電子書籍なわけですよ!(酔いが回ってきた)
文字ポイントを拡大して、オチが放たれる。文字の色を変える!
空白でページをスクロールさせて中身を稼ぐという手法は、有名人のブログで定着しましたけどね、
ありゃあひどいもんですよ。辻ちゃんがテレビ番組で『スペースをあけてページに
内容があるように見せかける』というのをやっていましたけどね、ありゃあひどい。
やっぱりある程度の文章の量は必要なわけですよ!
やっぱり精度の高い文章を読むと興奮するわけですよ!
でもま、電子書籍なら電子書籍ならではの、『演出』というのも欲しいわけですよ!
たとえば、音楽が流れるとか。挿絵が美麗なアニメーションで表示されるとか。
何か、村上龍が作った電子書籍は、著名な方の音楽が流れるらしいですよ?
でも、音楽やアニメーションも、出来れば文学的な演出がいいですな。
心に染みるようなやつをね、僕は望んでいるわけなんですよ。
『私小説』は、『エンターテインメント小説』とは違って、やっぱり心の中で反響するような文字列であって欲しいわけなんですよ。
だったら、その電子的な演出にも、私小説性、心の中で反響するような演出が宿っていて欲しいわけなんですよ。
エンターテインメントな映画と違って。
文学性というのはバズワードだと思うけど、でも、それでも、僕は『文学性』を求む!
『エンターテインメント』という言葉自体に『マジョリティを拒絶する』という意味が宿っているような気がしてつらい。
そろそろ終わろうか。グダグダと書き綴っちゃって、ごめんね。ごめんね。
酔っ払っていてごめんね。
約一名しか使ってないしいらないよね 語呂も悪いし