明らかに店側からの無理強いを嬢が泣く泣く、ってのを理解した上で
やってるわけだから。
理性があればそんなこと匿名でも書けないよ。
意外と新鮮!
ここでも感情(立脚する正しさのなさが不安)と理屈(ある正しさに立脚するのが不安)の対立があって、どうすればいいか分からないからです。そんなこと言ってたらなんにもできないじゃないかと自分でも思いますし、日常生活を営む上で私は私の正しさに則って動いているんですが、考えてみたら… →「私はなにを思えばいいんだろう。」というぐるぐる。
人間は「立場」から逃れることは出来ないと思うなあ。「ある正しさに立脚するのが不安」だろうと「どこの正しさにも立たない」ことは無理。そこは諦めるしかないと思うんだ。いずれかの「正しさ」を取捨選択した上で、それを物差しにして周囲を測っていくしかない。測っていく間に、逆に物差しの側を修正することもあるかもしれないけど、何の物差しも持たないまま活動するよりは相当マシなわけで。どこかで決断をしていかないと、先に進めなくなっちゃったりしないかな。
意志決定の正否の問題とは無関係に、平和を良いものと断定できる、ということでしょうか。平和が万能だとは思っていないつもりですがその理屈はよく分りません。なぜ無関係なのか、なぜ断定できるのか、解説をお願いできますか?
まずお断りしておくと、平和が良いものと断定できる、とは言ってないです。
さて、一般に言われる平和の「良さ」とは、戦争に特有の「デメリット」の裏返しとして語られていることが多いですよね。例えば、人命の喪失、資源・資金の浪費などが「デメリット」であり、そうしたデメリットから解放された状態が平和の「良さ」として語られたりするわけです(これはちょっと消極的な見方ですけれども)。
それを踏まえた上で、ですが、『国家と大衆が支持する正しさが正しいとは限らない』という問題は、そうした戦争に特有の「デメリット」と考えられていたでしょうか。あるいは逆に、平和の特有の「デメリット」と考えられるでしょうか。どちらも当てはまらないですよね?ならば、このことによって平和の価値が戦争と比べて相対的に上がることも下がることもない。つまり、それは中立的で、無関係な論点だと言えるのではありませんか。『本当に平和は良いものなのか』と恐れを抱くなら、むしろ戦争・平和のそれぞれに特有のメリット・デメリットについて論じるべきではないかと思うのですが(『希望は戦争』みたいに。これも事実認識はどうかなと思う面がありましたが)。
言及されている部分は本題からやや外れているので、まず『「正しさ」から無縁であることは、(一切の意思決定を放棄しない限り)平時にあっても不可能ではないか』という部分にまず回答が頂きたいですね。「レトリックなのではないか?」という問いかけに「そうなんです」と答えられていますが、では「そうした「正しさ」を論ずる意味はない」ということにはならないのですか?
さて、こちらは蛇足になりそうなのですが、ISAFの例を持ち出したのは、あれが国連安保理決議に基づいて設立され、それに多くの国々が参加・協力していること(それに加え、平和維持軍ではなく多国籍軍であることについて)をどのように把握し、それに対してどう考えているか、ということを確かめたかったからです。さらに、いわゆる戦争と戦争でない状態のグレーゾーンについての意識も問うています。というのも、直接ISAFに参加しているわけではありませんが、海自のインド洋補給活動を通じて、我々もアフガン紛争に関わりがあるからです。海自が給油活動終了までに果たす役割を考えたとき、増田はこれをどう位置づけるのか。戦争なのか、平和なのか。そのどちらかであるとして、それは「正しさ」によるものなのか。その「正しさ」から自由であることが可能なのか。だいたいそういうことまでを含めた部分が意図になるわけです。一応(そんなん読めるわけないだろ常識的に考えて…特に後段)。
参考として挙げられてた学振の資料
http://www.phys.s.u-tokyo.ac.jp/whatnew/kyo/091130_message/gakushin2.pdf
これがひどすぎる。
あたかもポスドクが(ほぼ)全員無事研究者になれたかのように書いてるが、
という但し書きつきの割合を使ってる。
こんなもん『これはポジショントークです~事実捻じ曲げてます~』って宣伝してるようなもんだろ。
むしろ積極的に予算削ってもらおうとしてるようにしか見えない。
頼むからもう少し頭を使ってほしい。東大の声明も感情論ばかりで根拠薄弱なことしか書いてなかった。
そんなだから予算削られるんだよ。もっとしっかりしろよ。
やっぱカメラブレもいちいち指示しないと、こういう動きにはならんねえ…
めんどくさいからカメラの指示は撮影にお任せだったけど。
やっぱここ一番って時は自分でブレ指示つけなきゃダメかしら。うひー大変。
ともだちがこころの病気になって一年、怖くて連絡をとれなくなってから半年が過ぎた。
職場を休んで実家に帰ったともだちは、風の噂ではとても怒っているようだ。
話を聞いてほしくて、苛立ってキレたり怒鳴ったりするのも病気のせいなのに、
こんなに苦しくてしかたがないのに、話を聞いてほしいのに、フォローも何もない、と。
ともだちは、まわりで支えようとしていた友人たちのなかでも、
特に、自分に対して怒っているらしい。
いちど、友人の一人が電話をしたとき、
ともだちは「あんなに待っていたのに誰からも連絡がなかった」と怒鳴った。
生まれてこのかた、誰かからあれほど激烈になじられたり怒鳴られたりしたことはなかったよ、
それはそれはすごかったんだ、と怒鳴られた友人は淋しそうに教えてくれた。
実際には、その前後に複数の友達がメールや電話をしていたのだけれど、
ともだちにとって、それは『連絡』ではなかったらしい。
みんなの話を合わせてみると、ともだちは、自分の連絡を待っていたようだ。
ともだちは、上に書いたように友人を罵倒した後で
「これは貴方に向けたものではない、代理みたいなものなのだ」と謝ったというのだ。
半年経って、初めて知ったこと。
働くだけでずっと来てしまったともだちは、社外の友達がいなかった。
労組を務めたりする機会があっても、会社の中で知り合いの輪を広げることに興味を示さなかったらしい。
何かを相談する相手は、同僚と上司、あとは学生時代の友人=自分たちだけ。
そのなかでも、自分に対しては、深く深く、気持ちを傾けていたらしい。
たしかに、知り合ったのがいちばん早かったぶん、つきあいも長かった。
「同性を超えた気持ちというか、恋人に対するようにして、ものすごく執着してたみたいだよ」
と友達の一人は言った。
だから、それが完全に裏返った今は
「裏切られた」「こんなに傷つけられたのだから謝ってほしい」という
真っ黒い憎悪の対象になってるみたいなんだよ、と。
自分も、ともだちのことを親友だと思っていたけれどそこまで執着されているとは思わなかったから、驚いた。
本人とは今は接触していないので、他の人経由の話でしか今の状態は把握していないけれど、
ともだちは、どれほどこちらが間違っているか罵倒して、謝らせたがっているという。
時間を自分に捧げてほしい。批判や指導ではなく、すべてを受け入れてほしい。
たしかに今考えると、当時のともだちの要求は、恋人に対するそれとよく似ている。
でも、実際にはそうではないし、こちらにはこちらの家族や仕事がある。
突きつけられた要求を容れることはできなかった。
「それはできないから」と、あのときはっきりと断ればよかったのだろう。
でも、断った結果、もっとこころの病気が悪くなってしまったらどうしよう、とあのときは思ったのだ。
そして逃げているうちに、事態はもっと悪くなってしまった。
電話口で死ぬほど罵倒された友人は、もう昔の「ともだち」はいないんだと思うようにしているんだと言った。
この先、病気が治ることがあっても、もう顔を合わせて話すことはできないと。
自分の代理として深く傷つけられてしまった友人には、本当に合わせる顔がない。
ともだちが「友達に裏切られた/ひどい」と書くと、
「なんてひどい!」「管理人さんかわいそうに」という同情的なコメントがびっしりとつくのだそうだ。
その様子は教祖と信者のようだと、日記を覗いている友達が言っていた。
「あれだけ同情されたら、心地よくってしかたがないから、そりゃあ抜け出せないよね」とも。
ともだちがどんなに酷く自分のことを書いていても、もうしかたがない。
日記を読むひとたちは、ともだちが書く部分しか見えないし、同情するしかないだろう。
そう思い続けているに違いないともだちの「現実」は、われわれの現実からは遠く隔たってしまっている。
胸にたぎる恨みつらみ、罵倒をこちらにぶちまけたら、ともだちはよくなるのだろうか?
罵倒を浴びせてなお、みんなと友人でいられると思っているのだろうか。
ともだちの言動に傷つけられたのは、自分も皆も同じだ。
けれど、だからといって、激情の刃を思いのままに振り回す相手の前に
素で立ち続けていられるほど皆強くはない。
はたして、治るのだろうか。
穏やかに話せる日は来るのだろうか。
考えてもしかたがないことを、今日もそうやって考えている。
車を運転していた。
突然前の車の運転席の窓から煙草が飛んできた。
マナー悪いなぁ...
そんなことを思っていると、今度は右手がにゅっと出てきて
F**K YOUと言いたいらしく、中指を立てていらっしゃる。
え?俺??何かしたかしら???
少し進むと赤信号で両車止まった。
今度はなんと運転席のドアが空く。
さすがの俺もビビリ出す。
しかし前の車の運転手は少しだけドアを開けてそこから
ガンをつけていると思われるお顔をこちらへ向けて、再度
F**K YOUと言いたいらしく、中指を立てていらっしゃる。
もはや、苦笑いするしかない。
相手が極めてナイーブで何かの拍子に煽られたと勘違いしたのだろうか。
誰もこんな田舎道で煽りなどしないのに。結構地味に混んでいるし。
このご時世、よく分からないまま殺されてバラバラにされて山に埋められてしまうかも。
と考えるとちょっと恐かったのであった。
で、何だったんだろ?頭おかしい人だっただけかしら。
獲得賞金・対局料だけだとトップは1億3千万くらい。
2位の人は5千万くらい、20位の人が1千3百万くらいだから一気にかわるね。
ちなみにプロになって一番下のクラスでも普通程度の暮らしは確保できる。年に2回のボーナス付き。
でもその店のコースとして生プレイってのがあったんですよ。
だから風俗関連の法律的には完全にアウトでしょうけど、僕が強姦をしてることにはならないと思います。
褒められたことじゃないのはわかってますけど。
自由になるお金が毎月1万か2万あったら毎月出る話題作を発売日に買うには十分な金額なんですよ。
会社員で独身だったら1万は自由に使えるんじゃないかなーと思いたいですね。いくら不況でも。
中高生や、ゲームに毎月万単位で支出するのに理解のない親なんかはわかりませんけど、独身貴族のゲーマーたちはちゃんとソフト買ってると思いますし、マジコン叩いてる人の中には「そもそもゲームをしない人」ってのも沢山いるんじゃないかなと思います。叩いて騒ぐための大義名分としてのマジコン。
そういう奴らってきっとマジコン"は"使ってない。
自分が使ってなくて尚かつ違法であり(自分の側に正義がある)、普段からバカにしている情報弱者が低モラルをさらけ出している…
まあ、特に根拠はないんだけどさ。そんな気がしただけ。
最近話題の腐女子問題と一緒で「こっそりやってろや堂々とすんな」という意見が多いと思う。
「絶対悪!滅べ!!」
と言っている人もいるだろうが……。
骨髄は反射しないよ、という脊髄反射。
昔からの友人で、本名が「増田」という奴がいるんだが、そいつが何をどう表現したところで普通とは言えないような奴でさ、
人が書いた日記やコメントの中に増田ってワードが出てくる度にそいつが浮かんでしまって、名無しさん的なイメージに全然ならないので、
自分がある程度その分野に詳しくて、それまで好きな人たちだけで楽しんでいたものとかが、ミーハーに取り上げられていくときによくあるんだけど。
例えばベッカムブームのときにサッカーの試合放送したと思ったら
実況がベッカム連呼しかしないで、その裏ですごいいい動きしていたサイドバックをスルーしているときとか、
「これ一冊で○○(好きな分野や物事)の事は丸わかり!」系の本が、表面撫でただけの内容に終始してたりすると感じる
なんていうか「注目するのはそこじゃねーよ」「分かってねーなー」感みたいなもの。
自分がそこまで興味ない分野だと全く発生しないよね。
これってどこから出てくるんだろう。純粋性と排他性ってやつの一部?
正直自分の感情にしてもうっとおしいし、素直に楽しめないから、どうしてこういう感情が自分の中に生まれるのか気になる。
http://www.youtube.com/watch?v=Bo5q2ycNfbU&feature=topvideos
その可能性を考えるなら、全ての物事について「駄目な可能性」が存在するよな。
ポリシーと違う事をやって他人に迷惑をかけているのが
どちらなのか正しく理解されていないようですね。
でもあんまり乖離してると
本当にそうなんですよ。