分からなくはないけど、ベンチャーですら収益上げるのが大変な時代に社会起業でそうそう収益が上がるわけないんだよね。
文章から判断するに、その彼女は、
「分析」と「帰納」が優位だから、
先に理論を説明するより、
良い例、悪い例を見せてから、やらせてみて、
それから理論を説明するというやり方が合うんじゃないだろうか、
と思った。
弟子にすると、吸収力が高く、
しかもそれなりにツッコミどころを抱えているから、
教えてる分には楽しいかも。
根本的に前提が違うんじゃない?
大元増田の彼氏の「そんなに嫌なら辞めちゃえば? 辞めても一緒に暮らしてるから生活に困らないでしょ」は、「辞めたあと俺が支えるよ」っていう意思表示でしょ。
増田の"「嫌なら辞めたらいいのに」ってアドバイス"は、辞めたあとの問題点をまったくフォローしてないので、問題解決の役に立たない的外れな発言じゃないかな。
内容としては、10の団体が15分ずつ自分たちの事業をプレゼンして、そのあと茶話会で仲良くなりましょう!みたいな構成だったんだけど、30分たって最初の2つの団体のプレゼンが終わった段階で、居たたまれなくなって帰ってしまった。
社会起業の第一義的な意味は「社会の問題点をビジネスの手法を使って解決する」であるはずだし、それこそが社会起業の意義だのだろう。つまりビジネスによって得られるマネーよりも、ビジネスによって社会問題を解決し、その功績、貢献度合で成功の如何が測られる。
営利目的企業の活動からはこぼれおちた、社会問題を鋭く射抜いたような、それでいて洗練されたビジネスプランを以て今日のプレゼンが聞けるのだろうと期待に胸を膨らませて会場に着いたのだが、
▼何が不満だったのか?
実際にそこで行われたプレゼンは、ビジネスモデルや具体的なプランなどなにも関係のない、NPOとボランティア団体のマイクパフォーマンスだった。
最初の団体は、父親支援事業。「父親であることを楽しむ生き方」の理解浸透を目指して勉強会、父子旅行を企画しているというもの。要するに「お父さんがんばろう!」と言いたいらしいのだが、これのどこらへんがビジネスや社会変革に繋がってるのかわからなかった。
二つ目の団体は「ニート、ひきこもりの体力づくりのサポートを目指す」NPO。
10分くらい、代表が元ひきこもりの体験、それを空手で克服したことをしゃべっていた。残りの5分で、パソコンと空手の出張講師の話をして終わった。
俺はここで退席。
残りの8団体のプレゼン概要を見ても、エコ、教育、障がい、いじめといった市民運動家のファッション左翼どもが好きそうなテーマのオンパレードで全く魅力を感じなった。たぶんその後の団体にも強力なビジネスプラン、ユニークなアイデアなんて絶対ない。断言できる。
シンポジウム自体の進行にも非常に問題がある。ひとつのプレゼンが終わると、矢継ぎ早に次のプレゼンに移る。つまり、15分のプレゼンの後には一切質疑応答の時間などなく、いったいなんのためのプレゼンなのだろうか。社会起業家同士のフィードバック、意見交換が今シンポジウムの目的のひとつのはずなのに。 すべてのプレゼンが終わったあとに15分だけ質問たーいむ、ってふざけてんのか。
300人くらいくる、と書いてあったが100人もいなかった。関係者を除くと何人いたのか。
どれだけ社会の為になる「良い」ことをやったことろで、それが収益性と直結しないと後世に残るシステムなんて築けるはずがない。カネがインセンティブになってることかそういうことじゃなくて、ちゃんと利益を出せるような仕組みを作ることでその組織が存続していく。こんなことを彼らに言うと「お金じゃなくて、やることが大事なんだよ!」とか言われるのかな。「社会起業」っていう新しい言葉を手にして喜んでる非営利団体にはヘドが出る。
過去の社会起業ビジネスコンテストを見ても、ボランティア団体の「ああ!私たちこんなにボランティアしてるぅ!!」合戦だった。
ベンチャー企業を創造、組織化、経営するために起業という手法を採るんなら、まずビジネスモデルの話をしろよ。
カンボジアに行って林檎の木でも植えるほうがよっぽど「社会起業」だ。
今振り返ってみて、あそこで行われていたモノはなんだったのだろうか。もしあれが今流行りの「社会起業」の正体なのだとしたら、おれが勘違いしてたってことなのか。
メイクしてないように見えたから「メイクしてるよね?(ノーメイクで出社するなんて非常識なんだぞ(怒))」って言われたんだよ。
そのくらい気付けよ。
とか言い出す・言ってる人がいる気がする。
お金がないと家庭での発言力が弱くなるということをお忘れなく。
確かに酒乱がお咎めなしなのはおかしいよな。
でもだからと言って「じゃあ喫煙も同様にお咎めなしにしろよ!」って主張は違うと思う。
同レベルなのにあいつらはお咎めなしかよ!ってことなんだろう。
これマジ?
俺、未経験(もちろん非情報系専攻)で業界に入ってプログラミングやることになって1年くらい経つ。
その間の学習の軌跡はだいたいこんなもん。
実際にはコード書く以外の仕事してる期間も結構ある(半分くらい)。設計考えたりとかアルゴリズム考えたりとか。
でも俺、ギークとかなんとかみたいな変態的プログラマの人たちには全く追いつける気がしないし、わかんないことだらけで俺センスねーなーと思うことしきり。本当に。
「珠玉のプログラミング」っていう本があるけど、あれみたいにビットレベルでコンピュータの原理を最大限活用してパフォーマンスの高いコードを書く、みたいな考え方がさっぱり身につかない。
でもこのエントリ見ると、俺もちょっとは自身もっていいんじゃね?って気がしたわけだ。
でもやっぱりそんなことは無いのかな。
ちなみにデザパタ関連およびOOP関連では『デザインパターンとともに学ぶオブジェクト指向のこころ』っていう本がマジオススメ。感動的にわかりやすい。
あれは私がまだ大学助手をしていたころだから3年ほど前のことだと思う。
私の勤めていた大学(情報系)では「プログラミング研究会」みたいなサークル活動が行われていて
プログラミングの講義を受け持っていた私はそのサークルにちょくちょく顔を見せるようになっていた。
そこにはとびっきりかわいい女子学生が一人いたのだけれど、その子はゲームが大好きで
「自分でもゲームが作りたい」と一念発起してゲームコンテストに作品を出品することになった。
しかし、彼女はプログラミングの講義(Java)を1年くらい受けているものの、
本格的なモノを作った経験がなく、ひとりでは行き詰まりをみせているようだった。
彼女はひとりでいることが多く、パソコンに向かって黙々とプログラムを書いているのをよく見かけた。
それを気にかけていた私はたまに彼女をランチに誘うようになり、彼女の方もしだいに私に打ち解けてきた。
私たちはだんだんと仲良くなっていった。私は彼女のキュートな笑顔に魅了されていった。
ある日、彼女が私のもとにやってきて、もじもじと顔を赤らめながら上目づかいにこう言った。
「先生、頼みごとがあるんですけど・・・」
「なんだい?」
これから恋の話が始まるのを期待したあなたは別のページを読んだ方がいいかもしれない。
これから始まるのはプログラミングの話だ。
その日から毎日のように彼女は私にメッセンジャーでプログラミングの相談を投げかけてきた。
彼女は大変優秀で、私の教えるプログラミングテクニックをみるみる吸収していった。
私は彼女の才能に驚き、彼女が将来優秀なプログラマになるであろうことを確信した。
しかし、ときおり彼女が優秀であるがゆえの面白い逆行現象が起こったのだった。
ある日、私は彼女がメモリを意識してプログラミングをしていないことに気づいた。
Java ではメモリを意識する場面というのは少ないが、まったく無いわけではない。
私は彼女にプログラムがメモリを無駄に使っているということを指摘した。
しかし、よく聞いてみると、彼女はメモリ=ハードディスクくらいの感覚しか持っていないことがわかった。
驚かないでほしい。
私の経験上、情報学部の学生の半分以上がメモリとハードディスクの区別がついていない。
それを知っている私は落胆することもなく、落ち着いて彼女にメモリの説明をすることができた。
彼女は私の説明を聞き「よくわかりました」と、とびきりキュートな笑顔を見せた。
しかし、翌日、彼女の書いたコードを見てがく然とした。コードが次のように変更されていたのである。
for (int i = 0; i < MAXHOGE; i++) { doSomething(i); } for (int i = 0; i < MAXFUGA; i++) { doSomething2(i); }
↓
int i; for (i = 0; i < MAXHOGE; i++) { doSomething(i); } for (i = 0; i < MAXFUGA; i++) { doSomething2(i); }
彼女はこのコードを私に見せながら、相変わらずのキュートな笑顔でこう言った。
「このほうが使うメモリが少ないですよね!」
ゲームコンテストの締め切りが近くなってきて、実際彼女はよく頑張っていたのだが、
どうしても間に合いそうになかったので、私もコード書きを手伝うことになった。
とある部分を書いていたとき、重複したコードを見つけたので Template Method パターンを使って書き直した。
Template Method パターンというのが何かというと、同じことをするコードがいくつもの場所でばらばらに書かれないように
一つのクラスにだけ書いて、それを継承して使いまわすという手法(デザインパターンの一つ)だ。
私はこの手法を彼女に教えようとは思わなかった。
なぜなら、彼女は継承だとか委譲だとかポリモーフィズムとかがよくわかってないのだ。
驚かないでほしい。
私の経験上、情報学部の学生の99%が、その、ポリホーなんとかが分かってない。
しかし、彼女はそれに気づいていた。
彼女は私のコードを自分で解析し、新たなる発見を独力でしていた。
重複したコードがあればそれを徹底して継承で解決しようとしている。
そう、差分プログラミングだ。
差分プログラミングの正式な定義は知らないが、彼女は IS-A 関係のない継承を使ってしらみつぶしに
重複コードを書き直していた。
そのコードを見せながら、天使のような笑顔で彼女はこう言った。
「こうするとコードの量が減りますよね!」
私がこの文章で言いたいことは、知の高速道路を渡ってきた若い優秀なプログラマは
ときおり妙な退行現象を起こすということだ。
それは普通の道を通ってきた古い世代にとっては実にみょうちきりんなことに思えるかもしれない。
しかし、それは彼らなりに理由があってのことであり、馬鹿だからやってるわけではない。
彼らは優秀であるがゆえにそういったことを起こすのだ。
そして彼らは優秀であるがゆえに、自分が間違っていることを理解するのも速い。
もし、あなたのまわりで若いプログラマが逆行現象を起こすのに遭遇したとしても、
どうか暖かく見守ってほしい。
上で紹介した2件に関しては、彼女にはそのあと説明をして理解を得ることができた。
しかし我々はそれで油断してはならない。
いつか彼女はその可愛らしい顔をにっこりとほほ笑ませながらこう言うかもしれないのだ。