元増田。1年間に1回もトンデモに引っかからない確率が95%の、トンデモ耐性が強い猛者がいるとする。
ところが、こんな猛者でも、40年間1回もトンデモに引っかからない確率は、0.95の40乗で、たった12.9%だ。
引っかからない確率を高めるよりも、一回引っかかったときに抜け出せるようにしておくことの方が、ずっと大事なんだよ。
…という選択じゃないの?
その通りだよ。無能な人間には、有能な人間を恨む権利があるんだ。有能な人間に危害を加えることは、もちろん許されないが、有能な人間に対する自分の嫌悪感は自由に表現していい。
今回の主人公は、数学オリンピックの予選に出られた奴だから、まず、数学が出来そうな奴を憎め。数学は先天的な才能で、奴らは生まれながらに得をしているんだ。
俺の場合はコレに「耳が悪い」というのが加わる。
名前だけじゃなく顔も覚えてないが、これはどちらかというと記憶力が悪いせいだ。
前に会ったことがある人でも「はじめまして」とかやっちまうことがあるし。
引っかかる割合より抜け出す割合のほうがずっともっと圧倒的に低い気がする。
>トイレは混んでる。
男子トイレ潰して、臨時の女子トイレにするっての演劇だと見かけるんだけど、コミケじゃやってないの?
会場内の飲食店から行列を横目に見つつ昼食とって、自分は結局何も買わずに帰るって有様だった。
かといって友人と行くと、女性の買い物につきあって、ひたすら退屈に耐える男状態になるし…。
なんかピンとこなかったんだよなぁ。
元増田。まぁ、「たった一つの簡単な○○」で集客効果を狙ったのは否定しない。
で、「たった一つの簡単な○○」にひっかかる人は、確かに、一時的にはトンデモや陰謀論に引っかかりやすい人かもしれないが、要は、ちゃんとロジカルに自分の頭で考えていれば、ちょっと引っかかっても抜け出せると思っている。むしろ、思考停止してしまう人の方が、ちょっと引っかかっただけで歯止めが利かず、ずるずると引きずって、ハマりやすいと思う。
「数学オリンピックの日本代表を逃した」なんつー設定を見落としたお前が悪いと思う。
原子力の分野なんかも比較的同じようなことやってるよな。
大学でちょっと齧ったんだが放射性廃棄物の処理なんか半減期の関係で数千年単位での
そうでなくても核融合炉とか実用化までに数十年とかかかるものをまじめに実験してるし
核融合炉はまだ許せるとしても(もう数百年は人間が存在し続けれるだろうし)
廃棄物処分の話なんかはあくまで実験での評価だからって多めに見積もってるのかもしれないけど
千年持てば良いじゃんと思ってしまう。
その友達は「今の自分は大事じゃない」って言ってる訳じゃないだろ。
それを受け入れないと生きて行けない」
と言う考えを根底に持ってるってことだろ。
そういう視点を持っているか?
が友達の話のポイント。
もっと言えば、生き方についてちゃんとした考えを持ってるかどうかって話。
印象に残ってるって事は、重要な話をしてることは気づいたみたいだな。
政治・行政・経済に対する知識をもう少し充実させる必要があるんじゃないかな。
予算書(議案)と議事録を読める有権者が増えてくれるといいなぁと
田舎の役所に勤めてても思います。教育の問題も役人の守備範囲ではあるけれど。
子供が嫌いなこと以外は、特になんの支障もなく生活を送れているのだけど。
反論されると、すぐに「言論弾圧だ!」とか「表現の自由の侵害だ!」と言い出す人間は疑ってかかる。
これだけです。
「言論弾圧だ!」と言える時点で、「言論弾圧だ!」というセリフは言えているわけです。実際には言論弾圧されていないわけですから、自己矛盾しています。その矛盾に気が付かないということは、論理的に議論を運ぶ能力を欠いている可能性がある、と疑ってかかるべきです。
「才能ある奴が世界を救う」というモチーフは80年代からそうで、今だと漫画の「ワンピース」でも言われてることなので何をいまさらという感じ。
ワンピースには現実感なんてカケラもないから、「どうせこいつらスーパーマンが世界を救うんだろ」って感じで
というような感じに当てはまらないんだろう。
「耳をすませば」やら「サマーウォーズ」は、自分らと同レベルなんじゃないかと思わされた後の、”裏切られた感”があるんじゃないかな。
http://anond.hatelabo.jp/20090728120227
この話をこじらせると、変な論理がまかり通ってしまうんですよ。例えば。
例えば、テレビだって似たようなものだ。今の時代、「俺は別にテレビ見ないから買わなくて良いや」というのが許されるか?
仮に自分にとってテレビが情報源として無意味だったり、テレビの捏造に辟易していたとして、それだけでテレビを見なくて良いことにはならない。自分がテレビを見ていなくても大丈夫かどうかではなく、周囲の人が、テレビのくだらないワイドショーの話なんかで盛り上がりたいから、そういう人に迷惑を掛けないためにもテレビを見る必要があるわけだ。
これは通りますか?そもそもの話として普及率と持たないことへの話は、繋がらないんですよ。
いやそれめちゃくちゃ通ってるって言うか、(テレビを見る人が本気で見ない人を迷惑がってるものかどうかを差し引いても)まさにテレビって今、見る気のない社会人にとってはそういうもんになってると思う・・・。
サッカーとかお笑い芸人とか興味が無いけど、会社での話題についていくため見る(もしくは見たと同程度の知識をネットなどで得る)必要があると言うか。
自分はあそこまでではないが(と言ってもまだ見てないのでHPとCMからの情報だが)
比較的親戚と一緒に育ったぞ。
というのも父の実家がすぐ横で父方の従兄妹も歩いて5分のところに住んでたから
夏休みになると両方が共働きなので祖父母の家に朝行って夕方帰るって生活を従兄妹と一緒に毎日のようにやってた
それに加え祖父の兄弟がそれなりにいるのでお盆なんかはまさにCMでやってるように一つ屋根の下に20人を超える人数が集まったりしてた。まあ、最近はもうおじさん達(父の従兄妹)もそれぞれ県外で就職したりとかで集まって祖父兄弟が夫婦で8-10、プラスその子供、孫で(集まるタイミングで帰ってて)7,8で20弱って感じだが……
だよねえええええ!
なんかネットで感想見てても概ね褒めてる人が多くて、自分がバカなだけなのか?と悩んでいた。
OZの運営がどういう風に行われてるのかがさっぱり想像できない。いや、想像はできるんだけど、
それを深く考えてはいけない映画なのは分かるんだけど、そういう疑問を力技でねじ伏せるほどの
演出が無かった感じがする。
10億年ぐらいしたら、太陽が膨れだして
太陽系を飲み込んでから爆発するんじゃなかったっけ?
太陽がどうなろうが、100年もしないうちに
自分というものが失われてしまうのに、
億年オーダーを考えるのは、すごくすごくさびしいような
恐いような、しかしどうしようもないような
虚無感?を感じるなぁ。