親以外にそんな自分勝手ロジックが通用するはずないだろ
音楽は何を聞いてる?という質問に30代ならなんと答えるべきだろう。
自分が小中学生の頃、親父は演歌など聴いており、随分年寄り趣味だ、ダサいなぁと思っていた。
しかし今その年代を逆算してみると30代後半ぐらいだったはずである。
実際にその年代に近付いているはずなのに、今の僕は何をしているのだろう。
ゲームしていたり、馬鹿なサイトを見ていたり、くだらない玩具を買ってみたり。
今、君はどんな音楽を聴いてる?
おっけー。
現実的でないだの、努力でなんともならないだの言うなら答えてやる。
これは俺が通った道だ。
幸い前職がIT関係なんで、ちょっとの健康の引き換えに金は入った。
そのうえ、学校行っている間でも、ちょっとした仕事は確保できた(当然単価は安い)。
ちなみに、最近は、通信制も増えている。うまくやれば辞めなくても勉強できると思う。
つまり、今後とも、社会人入学のチャンスは広がっていくと思う。
当然、大学に行かない場合のほうが幸せに過ごせたかもしれない。
ただ、今後一生、大卒だからだの、専門卒だからだの、くだらねぇことで俺の人生を惑わしたくなかったんだよ。
その一点だけで俺はこの選択を後悔してない。
年収は一時下がったし、職がなくなる覚悟もあった。
ただ、この学歴が絶対覆せない壁だと信仰しているなら、言ってやる。
「学歴なんざ糞くらえだし、俺は、この選択を後悔していない」
いや、「○○円分の価値がある」ってことだと思うよ。
だからテレカでも図書カードでも同じだけど、テレカの方が作るノウハウ(なんて程のものでもないかもしれないけど)が出版社側にあるんだろう。
同じだったら使い慣れてる方がいいだろうし。
「実際に使われる」って選択肢はほぼ想定されていないと思う。
皆さんは自宅でどのように本を読みますか?
自分はなぜか家では集中することができず、いつも喫茶店等に行って読書をしてます。シーンと静まり返った空間では逆に集中ができず、むしろ若干の騒がしさの中の方がすんなり本の世界に入れます。
でもこれではいちいちお金がかかるし、どれだけ長くてもせいぜい二時間くらいしか読書を続けられなくて(それ以上はお店に悪いかな、と思って出てしまう)困ってます。
そろそろ家でも読書ができるようにしたいんですけど、皆さんはどんな感じで本を読んでますか?座り心地のいい椅子とかを買うべきなのかな?そんなスペースないけど…(ちなみに当方1Rに一人暮らしのものです)。
相手は同じ組の子であったり先生や、はたまた親の場合も。
この結婚というのを辞書的な意味でとらえれば、結婚できる年齢には達していないし、
親と結婚できるわけも無い。それに経済的な裏づけとかどうすんの?
のように考える人はまずいないだろう。幼稚園児の結婚には、幼稚園児としての意味が
ある。だから結婚するというのは、その相手が好きだとかそんな意味なんだろう。
この「好き」というのも子供と大人でちがったりするのだけど、それはおいておいて。
ある程度の年齢に達して、法律上結婚できる人の「結婚する」とか「結婚しよう」と
いう言葉も、場合によっては幼稚園児の「結婚する」というのと大差ないのではないか
なんてことを思ったりする。どういう場合にそう思うかというと、あまり具体的な
生活設計などがされていない時など。結婚というものの意味をどのくらい理解している
のだろうとか。
そもそも「助成金を減らすな」って主張はきわめて政治的な主張ぢゃん。
それもどちらかというと左翼的(っつーかサヨク的と言おうかリベラルと言おうか)な。
そういうサヨク的な主張をする人のバックにサヨク団体がいたって言われても
So what? だからなに? としか思わないんですけど。
だな。世間を知らないガキを背後から操るのは彼らの常套手段だし。
背後に「そういう連中」が居た事を突き止めた事に関しては(別に難しい事でも何でもないが)情報の蓄積という意味はあるが、内容そのものは「ああ、やっぱりね」レベルであって「背後にそんな陰謀が!」と驚く事でも何でもない。
しかし、事前に集会やデモ行進の申請をしていなかったため、警視庁公安部は市民活動家の男1人を逮捕。さらに、それを妨害しようと警察官を殴るなどした男2人を公務執行妨害の現行犯で逮捕しました。
公安部は、再三警告を行ったにもかかわらず、行進などを行ったとしています。
もうちょっと現実的に考えてくれよ。
それくらいの貯金ができるには月に5万円ずつ貯めても4年かかる。
在籍中に稼げるのはせいぜい生活費くらいだろう。
18歳から働き始めたとして入学は22歳だ。
26歳で卒業して、さぁ雇ってくれるところがあるだろうか。
4年間も縛られる上、学費に250万円もかかり、しかも年齢から就職できるかわからないリスクを抱えることになる。
頑張ればどうにかなるっていう程度とは到底言えないな。
すげー!ググったんだけど、これで「聴く」なのか!?
モテてる人って単に異性の友達が多いだけでなく、複数の集団・人間関係に属していることが多いと思う。
非モテの俺が自己反省的に考えてみたが、女友達はそれなりにいても人間関係の広がりに乏しい。
そもそも「助成金を減らすな」って主張はきわめて政治的な主張ぢゃん。
それもどちらかというと左翼的(っつーかサヨク的と言おうかリベラルと言おうか)な。
そういうサヨク的な主張をする人のバックにサヨク団体がいたって言われても
So what? だからなに? としか思わないんですけど。
バックにサヨク団体がいた
↓
女子高生が自分から言うはずがない
↓
代名詞としては使うけど、呼びかけとしてのyouは偉い人には使わないんじゃ。
サーとかミスター○○、ミセス○○、もしくは役職等。
低学歴を入社させないってことは朝日日経は自分から差別してるということになるのでは?朝日日経は大人の世界じゃないということなのかもしれないけど。
マジレスしておくと、スイーツというのはマスごみに踊らされる情報弱者という意味らしいから、自分へのご褒美=マスコミに踊らされて浪費という風に見てるんだろう。じゃあ何で彼らは金使う=悪と見てるかというと貧乏だからそうしないと精神の安定が保てないから。女にもてもしないし金も持ってない、客観的には負け組みとみなされるような境遇にある彼らが匿名掲示板(日記?)で憂さ晴らしをしてるだけ。
アスリートを対象に失神するほど笑ったのはあれが初めてだったかもしれない。長渕剛が暴走していたアレのことです。2008年のプロ野球珍プレー・ナンバーワンは間違いなく清原の引退セレモニーだ。
僕はどっちかと言うとデリカシーというものを大事にする方だが、あんなもん笑うなという方が無理だ。突っ立ってるだけの清原の周囲をぐるり徘徊しながら熱唱する長渕剛、このカメラワークがおかしくておかしくて仕方が無かった。軽い挨拶程度で流されると思っていた「とんぼ」が、フルコーラスだとわかった瞬間も僕の呼吸困難に追い討ちをかけた。ネット上での感想を読んでいても僕と同じような印象を受けた人は結構居て、「引退セレモニーですら笑いを取ることが出来る清原はさすが上方出身だけある」みたいな皮肉も沢山見受けられた。
あのセレモニーで爆笑した人と、本気で感動した人との違いはまんま、世代の違いだと言えると思います。KK時代の直接世代でない人たちから見れば、あそこは笑うしかない。悪気が無くても笑うしかない。そういう構図だ。
でも笑いから覚め、落ち着いて考えているうちに、プロの世界はやはり非情で厳しいものなのだなぁということが理解できてきた。笑ってはいけなかったのではないかとじくじたる思いにもかられたのです。
僕が小~中学時代の頃、西武ライオンズファンだったので当然清原も大好きな選手の一人であった(特別熱を上げていたのは郭(泰源)と秋山だったが)。あれほど好きだった清原がああいう形でしか選手活動に終止符を打てなかったというのは、考え方によっては実に残酷な話ではないですか。
個人的な印象では巨人移籍以降の清原は全然パッとせず、とても巨額の投資に見合うだけの働きはしていない。巨人もオリックスも実は最初から戦力としての清原には興味が無かったのではないかと思ってる。ショービジネスなのだから、何も球団への貢献方法は、ホームランを打ったり三振を取ることだけではないはずだ。経済効果が見込めれば賞味期限の切れたヘタレだって獲るのだろう。それはそれで利口だけれども、清原獲得への投資が、氏のタレントとしての存在価値でペイするしか無いというのは、本人にとってはある意味屈辱的なのではないかと思います。
なんせ、「打ったら拝まれる。三振したらどやされる」という、選手としての結果主義を説いていた当の清原だけに、あのフィナーレは耐え難いものがあったのではないか。そんな気がする。
あと、別の理由として考えられるのが、清原が本気で試合で活躍すると信じて獲得した人々の存在だ。僕は球団運営について何も知らないので想像だけど、仮にも一法人がバカ高い買い物をするのだから、数多くの幹部の同意が必要だろう。おそらく書類につかれたハンコの数も一つや二つではないはずだ。そんな彼らが手がけた獲得劇である。「獲得は失敗だった」という口ざまだけは避けなければいけない。片岡篤史もそうなんだけど、つまりどんなに期待はずれに終わった元・超大物打者でも、「獲得は成功だった」と周囲に印象付けなければ困る人たちが、あのような滑稽なフィナーレを演出したのではないかと思っているのですが、いかがでしょうか。
ファンにも同じことが云えます。自分の青春時代、球界で華やかに活躍していた清原が、往年すっかり落ちぶれたことを認めたくは無いのでしょう。華やかだった青春時代から一転して、パッとしない日々を送る今の自分と清原とがオーバーラップするのではないでしょうか。でも、それでは駄目です。本当のファンならば選手の衰えという現実をしっかりと直視して、それでも尚愛し続ける勇気を持たないと。
今の10~20代なら松坂やダルビッシュといった選手の大ファンという人も多いだろう。だけど、いつかは彼らにも衰えが来ます。打てなくなり、あるいは被弾し情けなくベンチに下がることが多くなるでしょう。そのとき、彼らのみじめな姿をちゃんと見ていてあげてください。世間から注目されなくなり、ひっそりと球界から去っていく彼らを、ファンだけは最後まで見守ってあげるべきなのです。
偽りの労い、偽りの賛歌に彩られた引退セレモニーに声援を贈るような、そんな残酷な仕打ちだけは避けなければいけない。清原和博のような犠牲者をこれ以上増やすべきではないのだ。
("物書きの才能があるのかしら")