ざっと読んだだけなので誤解してたら悪いが、
この言葉があれば、俺の人生には「合格した俺の人生」か、「ジ・エンド」かしかない。「○○大学に入れなかったまま進む、俺の人生」は無い。それがとてもほっとするんだよ。
あなたの結論で行くと、結局「○○大学に入れずに、死ぬという決意さえ守れなかった、俺の人生」を歩むことになるわけだが、それは「○○大学に入れなかったまま進む、俺の人生」と比べてどちらが耐え難いんだろう?
多分俺はあなたの期待した人じゃないだろうね。
偶然に発見したid:amachangの記事。
http://d.hatena.ne.jp/amachang/20071210/1197277203
ここに、りんくが貼ってあるんだけども。
http://www.atmarkit.co.jp/news/200705/09/nttdata.html
「10年は泥のように働け」「無理です」――今年も学生と経営者が討論
っていう事言ってるひとをネット上でよく見る。
「人生の目標を失ったらその時は死ぬ」とか「成し遂げる何かを失ったらその時は死ぬ」とか。
かくいう俺も、そういうことよく思う人間なんだけどさ。
でもこういう事を言う人間のほとんどが、実際にその何かが無くなった場合にマジで死ぬかっていうと、おそらく……てか十中八九、死なないと思う。なんやかんやで生き続けると思う。俺も自分でこういうこと思っておきながら、うすうす「でも死なねーだろーなー」って気がついてる。でも気がつきたくないから気がつかないフリをしてる。てか、はっきり書いちゃってるから、もう「してた」だけど。
結局俺なんかもそうなんだけど、こういう事言う人間ってなんで「その時は死ぬ」なんていうかっていうと、簡単な話で、「その方が楽」だからなんだよね。こういう心情をさっぱり理解できん、死ぬなんて大袈裟な……。って思える人(多分そっちの方が健康的で正常なんだろう)からすれば、「何もそこまで気負わなくても」って思うだろうけど、それは逆で、寧ろ重荷を外したいからこそ「その時は死ぬ」なんて言っちゃってるんだと思う。こういうタイプは。
勿論「その時は死のうと思う」って自身にかけた言葉が、全く重荷にならないわけじゃないけど、それ以上に俺のようなタイプの人間ってのは恐れてることがあって、そっちの方が重荷なんだよね。だからそっちを外す為に、「その時は死のうと思う」という言葉の重荷は甘んじて受け入れているわけ。そっちのほうが結局相対的に楽になるから。
で、「恐れていること」っていうのは何かっていうと、自分の満足する人生が送れないこと。またはそんなようなこと。
「これがなかったら、その時は死ぬ」を言葉どおり実行すると、極端な話、絶対に「自分の満足した人生」を送れるんだよ。なぜかって、自分が欲しているものがなくなり不満足になった時点で命を絶つわけだから、必然的にそうなる。まあもちろん、「○○がなかったら」の○○以外のいわばプチ不幸、プチ不満足(その人にとっての)は勿論存在するけど、その人にとっての最大の不幸は絶対回避できるわけ。なぜならそれに遭遇した時点で死ぬと決めているから。(正確に言えば、死ぬ直前にちょっぴり出会っちゃうわけだけど)
だからこういう言葉で宣言しておくと、「自分は自分が最も恐れている不幸を回避できる」ことが保証されるわけ。死ぬんじゃ回避じゃないだろ、って思った人、あなたは正常です。ちょっと思い込み激しかったり思いつめがちな人がする発想だからね。俺もそうです。そういうタイプは、「自分が恐れる不幸を背負ったまま生きる」のが何より怖い。でもそれに遭わないなんて保証は誰にも勿論無い。しかし一つだけ方法がある。それは「出遭った時点で命を絶つ」こと。なんだよね。
だからそれを宣言しておくと、俺みたいなタイプはほっと安心する。
「ああこれで大丈夫だ。もし○○がなくなっても、その時は死ねばいいんだから……」
って安心できる。
俺はこれを大学受験のときにもやってて、「もし○○大学に合格しなかったら、その時は死ぬ」って思ってた。それをうっかり漏らした時、周りは「この子はおかしい」「そんなに思いつめるな、人生それだけじゃないぞ」なんていってたけど、それは(正しいんだろうけど)俺にとっては的ハズレだった。俺はその言葉によって自分自身を安心させていたんだから。この言葉を信念にすることによって、俺はもう絶対に「○○大学に入れなかった俺」という人生を歩まずにすむ。それで安心するんだ。この言葉があれば、俺の人生には「合格した俺の人生」か、「ジ・エンド」かしかない。「○○大学に入れなかったまま進む、俺の人生」は無い。それがとてもほっとするんだよ。
でも最初にも言ったけど、ぶっちゃけ薄々気がついちゃってるんだよね。「でもたぶん俺、不合格になってもその時死なないだろーなー」って。死なないっていうか死ねないんだろうなって。所詮、安心するための言葉、(その人にとっての)人生の敗北から逃避するための言葉だからさ。そんな覚悟でもとより死ねるわけがないんだよね。死ぬってのは、自分が思ってる以上にハードル高い。そうそうぱっと死ねるもんじゃない。当たり前だけど。なんていうか「身体」が、拒否してしまうんだよ。
だから、「死ねる事」に憧れる。「死ねる人」に憧れる。もし心の底から「いつでも死ねる」人になれたらなあ、楽だろうなあ、って思う。まーこれは俺だけかもしれないけど。でも「これがなかったらその時は……」って思ってる人って少なからずこういう考えがあると思う。
これはおもいっきり不健康な考えなんだろうけど、どうも俺は健康的な精神を持っていないのか、タフでないからなのか、普通に人生に立ち向かってゆくことができない。逃げ腰逃げ腰で、こうやって「そうだダメになったら死ねばいいんだー」と保険かけとかないと、とても怖くて立ちすくんでしまう。普通に立ち向かってる人は本当に凄いと思う。大学で第二志望とかを考えられる人って本当に強い人だと思う(まあ俺も今だったら大学くらいでそこまで思いつめないだろうけど、例えで)。でもその保険は完璧じゃないから、それが一つの悩みどころなんだよなあ……
何でこんな事かいたかって言うと「気持ち分かる!」って人が現れないかなーっていう希望のため。w
セコくてすまんw
はてな匿名ダイアリーって、もしも、ギャルとかギャル男が乗り込んできてとんでもない事を言い出しても
「それは一理あるがうんたらこうたら」
とか
「いや、それはここが違う」
とか最初のうちは協調する姿勢を見せたり理屈で反論したりいくんだけど、最終的にギャルとギャル男軍団の謎パワーにやられて、徐々に今の様な書き込みが無くなっていって
「あいつらがくるまでは良かった…。」
とか語り出しそうな感じがするね。よくわからないけど、今はパラダイスなわけだ。
そりゃあ、異性と番って子供を生み育てることができないからでしょう…。
未来の納税者を一人も産まず、いずれは社会保障を受けるだけのお荷物になるから忌み嫌われるんじゃないかな。
それに、そういう存在は排除する方向に持っていかないと国が滅びちゃうしね…。
横国は、横浜駅からバスがあるみたいだが?とりあえず、「2時間半」とはずいぶん違うんじゃないかと思ったというだけで、ちょっと足すのぐらいはそりゃあるだろ。
南武線は、半分ぐらいは毎日乗ってるよ。
それはそれは。なるほど小作から横浜とか、西武線エリアとかは無理があるねぇ。ただ、駅からバスとかチャリで15分の団地、というのはあらゆる意味で不利なのはどうしようもないな。
駅から徒歩10分圏にしか住んだことないんで気がつかなかった。徒歩無理圏って、自家用車前提の人ばっかりだと思ってた。
地方の人か23区の人なのかなあ…?
(単なる例として挙げたんだとは思うけど)横国のキャンパスは横浜駅前にはなくて、相鉄線の和田町駅か横浜市営地下鉄三ツ沢上町駅から歩いて20分くらいなんだよね。それだけで「乗り換え検索サイトの横浜駅」から余裕で30分くらいは違う。
南武線や横浜線…乗ったことある?端から端まで毎日乗るものじゃないよあれは…orz
さらに、「多摩センター駅(多摩南部の急行停車駅)前に住んでる人」ってのは実際にはほとんどいなくて、北多摩(西武線とか)や西多摩(青梅線とか)の、各駅停車しか止まらない駅からバスとかチャリで15分の団地、みたいな人のほうが圧倒的に多いのですよ…。これで30分から1時間余裕で遠のく。
千葉大にしても西千葉駅なので北多摩から東西線で行くと総武快速使えないし、埼玉大も与野だから結局都心経由か武蔵野線…ほんと勘弁してくれ…。都立大/首都大も世田谷→南大沢だし。
人口いっぱいいるのに国公立大空白の地、北西多摩に公立大一つ作ってくれ!!上北台駅前あたりで!地価も安そうだし!(半分本気)
え、首都圏在住だけど、「関西は鉄道網発達してるし、神・奈良女・大阪市・府・京都府とかいろいろあっていいなあ。首都・電通・農工は地方からやたら受けに来るしむずいお…隣県国立は遠いお…(鉄道網的な意味で)」って思ってた…。
おれもそんなもんだな。
凄くあたまいいという言い方はちょっと引っかかるけど、
分散考えたら偏差40以下とか60以上はもうくくっちゃうよ。
偏差80以上とか偏差20以下なんて誤差じゃね?
そりゃ母集団が十分におおきければ発生しうるけどそれは特異サンプルだろ。
もし偏差値で80とか20とかでるようだったらそれは分散を推し量るテスト問題としては問題があると思うな。
ちなみに偏差80は凄くあたまがいいという評価ではなく「おかしい」という評価になる。
過剰なくらいチャラい格好するとか。
ド金髪にして逆立てて、派手な原色のタンクトップを3枚くらい重ね着、ボロッボロのグランジGパンを腰パンしてド派手な柄パン丸出し、ピアスとネックレスとブレスレットを3つずつ、もちろん唇と鼻にもピアス、みたいな。
旧帝大の地元の人間はみんな味わう悲哀だよ、それ。関西は特に酷くて、京大と阪大と神大と奈良女と府立医大だからなあ。大阪市大や京都工繊大もかなり難しいし、手頃なのは大阪府大と京都府大ぐらいしかない。
東京は、電通大とか農工大とか、優秀な先生が揃ってる割に全国的には無名で入りやすい大学があるからいいじゃないの。文系は外大と一橋大より入りやすい大学がないから辛いだろうけど。
噂の松本先生ですが、ちょっと気になったので厚労省の医師等資格確認検索(死亡した医師免許保持者でもリストアップされていたり、登録抜けがあったりというなかなかにメンテの行き届いていないDBではあるが…)で調べてみた。試しに近所で開業してる医者数件を打ち込んでみたらきっちり返ってきたので、それなりに使えるものと判断。
男性医師で探すと一件、出ては来るんだが、登録年度が昭和61年、即ち1986年。
一方、くだんの松本院長は、プロフィールによれば順天堂大を1961年(=昭和36年)に卒業されているので、卒業と同時、もしくは遅くとも外科医長として働き始めた時期には登録されているはずなので、辻褄が合わない。
どういうこと?
可能性としては、
1.卒業から25年後に医師免許取得・登録 → 病院長まで務めておられるのでさすがに無理が
3. 厚労省への登録をしていない → 医師法6条の規定を無視?
なんというか、ウイルスが未知なんじゃなくてこの人の経歴が未知なのかもしれない。
あのさー、学歴がなくてもたまたまやっていける業界(いわゆるITの一部とか)に自分がいたというだけで学歴不要論を語る人がいるんだけど、ほんとやめてほしいんだよね。
数学・物理学史上最大の天才の一人にニュートンがいるわけだが、彼が発見した古典力学の基礎や微積分は高校の教材だ。つまり、学歴がなければどんなに頭の良い奴でも高校レベルを出られない分野というものがあるということだ。
それに、現在世界的な天才と呼ばれている人間を思い浮かべてみろ。スポーツや芸術の世界を思い浮かべれば特に顕著だが、中国人やインド人の少なさは異常だと思わないか?「地頭のいい奴」も学歴がなければ埋もれてしまうんだよ。
金になる可能性のある奴を放っておくなんてことも今日日なかなかないよ。たとえ本人が望んでなくても周囲が放っておかないよ。