「じゃね」はわざと馬鹿っぽく見せるためにつかうんじゃね?
アメリカボールペンだよね。そもそも紙がボールペン用っていうか、微妙にざらざらしていて鉛筆だと減りが早すぎる。
なんでそうなんだろうか?いい質の紙を使えなかったとかいう歴史的経緯でもあるのだろうか?
ほかの先進国とは人口密度が違うんだから仕方がない。しかも日本は平野が少ない。
住宅事情の悪さにしても食料自給率の低さにしても平野の人口密度は無視できない要因だけど、なぜかそういう要因は注目されない不思議。
モンスターペアレントの卵を発見。
鉛筆が好きというヤツは別に自由に使わせてもいいが、シャーペンを禁止する理由など何もないはずだ。「昔からそうだから」という理由で誰も何も変えようとしないから、意味のない不自由なシステムがそのまま幅をきかせているのだ。そんなことで何がイノベーションだ。シャーペンくらい自由に使わせろバカヤロウ。
こういう親に育てられた子供が親になったら、こういうに違いない。
文字を書くことが無駄だ!
今度からノートパソコンを持っていかせるから電源を用意しろ!
スマブラXが発売して11日でミリオンだと。でもトラブルも多いよね。
スマブラXに関する苦情で一番多いのは「アレックスキッドが出てねえじゃねえか」という苦情らしいけれどそれはそれとして
スマブラXではコナミの代表としてスネーク、セガの代表としてソニックが出場している。
セガを代表するキャラクターがソニックであることは誰もが認めるところであるとは思う。
スネークはどうなんだろうか。
確かにコナミのゲーム中では一番勢いに乗っていて世界でのソフトの売り上げも上々である。
しかし俺は代表キャラとなるまでには至っていないと思っている。
・売り上げや人気
のほかに
例えばマリオの場合本道といわれる2Dや3Dのアクションゲームはもとより
パーティゲーム、テニス、ゴルフ、カートレース、パズルゲームなど、マリオを使ったゲームは数え切れない。
ソニックもアクションゲームだけではなく格闘アクションやレース、ピンボールなどのゲームで使われている。
スネークはサルゲッチュシリーズとのコラボレーションを果たしていたりもしているがあくまでもコラボレーションであるし、
メタルギアシリーズ以外にACIDというカードゲーム風SLGは出ているがキャラゲーかといわれれば悩むところである。
せめてスネークがパロディウスやワイワイワールドに出ていたりメタルギア対戦パズルだまなどといったものが出ていればまだ俺も納得していたんだけれど・・・
まあ桜井と小島が仲がよくて出してくれって言ったからっていうだけだから考察するだけ無駄なのはわかっているしドリームミックスTVのことは忘れてくれ!
住所は間違ってない。
もしやその金融機関のデータが壊れて間違えた明細が発送されたのでは?と想像し青くなった。
問い合わせてみるかと思って電話をかけているうちになんとなく住所を再確認してみたらうちの住所じゃなかった。
見間違え。
単なる誤配。
ほっとしたけど、よく考えると金融関係明細の誤配はまずいよね。
気をつけないとなぁ。
ネットの辞書のほうが断然詳しいよ。単語量も多いし。検索性も早いし。
音声ファイルまでついている所もあるし。類語辞典にすぐ切り替えられたりもするし。
紙の辞書は検索せずに単語を眺める用。英語の文書を読んでいてわからない単語を調べるときはネットの辞書。
えーと、リンク元の使い方間違えた。すまん。
元記事の下に張ってあるリンク↓
http://www2s.biglobe.ne.jp/~ttsyhysh/column.html
のページの上に嘘とまるまる書いてあるんだが。
てかそんな命令口調で書かなくても。
嘘を嘘と(ry
文学部に行って作家になろうと思っていたけど、『佳』に値するような賞をとることもできたけど、
いわゆる「上手い文章」を書くのは才能的に無理なんじゃないかと思ってしまった。
その頃からもうgdgd。自分で書けないならもう文芸に近寄っていても苦しいだけだと思って休学。
高校時代の第二志望だった工学部を再受験してエンジニアの道を選び今に至る。(ここで退学ではなく休学を選ぶあたりも痛すぎる)
だから、普通の小説はもちろん、ラノベを書いて生計がたっている人も俺は相当凄いと思っている。
よくスポーツの世界で「上に行ける奴は自分を全く疑わない奴だ」って言われるけど、
ブンガクの世界も一緒だな。あーあ。
日本では、バレンタイン・デーは「女性が男性にチョコレートを配る日」として、完全に定着している。これが、初期キリスト教の聖人、聖バレンティノにちなんだ日で、欧米では恋人に花などを贈る日とされていることなどもごぞんじの方は多いだろう。では、なぜ日本ではチョコレートを贈る日になったかはごぞんじだろうか。一般には、神戸の菓子屋の「バレンタイン・デーにはチョコレートを」のキャンペーンが全国に広まったものとされている。しかし、実はこの前の段階がある。
この行事はそもそも昭和21年の今日、進駐軍のバレンタイン少佐が子供たちにチョコレートを配ったという故事に由来しているのだ。
意外と知られてないが、これは事実なのだ。
昭和20年冬、終戦直後の神戸にやってきた進駐軍士官の中に、彼、ヴァレンタイン・D・クラーク少佐はいた。クラーク少佐は1920年2月14日、ボストンに生まれた。誕生日の聖人、聖ヴァレンティノにちなみヴァレンタインと名づけられたクラークは、その名の通り慈愛に満ちあふれた青年に成長、陸軍に入隊した後もその性質は変わらず、太平洋戦線で戦ったにもかかわらず、日本人に対して常に敬意と愛情を持って接した。そんな彼の性格がもっとも表れているのが、このバレンタイン・デーのエピソードである。
敗戦後の混乱の中で飢えに苦しむ人々、特に子供たちの悲惨さを見かねた彼は、日本にいた3年間毎年、自分の誕生日である2月14日に、子供たちへのプレゼントとして5000枚のチョコレートを配ってまわった。かっての敵である自分たちに対しても愛をもって接する彼の姿にうたれた人々は、クラーク少佐を記念して、2月14日にチョコレートを贈り合うようになったのである。
その後、この習慣がチョコレート業界の戦略から全国的に広まり、いつしか女性が男性に贈るものとして固定化し、やがて義理チョコなどの儀式が生まれてくるに及んで、ヴァレンタインの精神も完全に形骸化してしまったわけである。クラーク少佐も草葉の陰でさぞや嘆いているだろう。どうだろう、みなさんも一度クラーク少佐の真の愛情あふれる心に思いをはせ、習慣化した義理チョコなどではなく、世界の恵まれない子供たちにチョコを贈ってみては。
参考・「現代用語の基礎知識」(自由国民社)「究極超人あーる」(小学館)http://www2s.biglobe.ne.jp/~ttsyhysh/column.html
見苦しくない宅地をつくればいいじゃない。ぎっちりつめるから見苦しいんだよ。