美容院にいったよ
雑談嫌いなのでカットされてる最中はいつも目を閉じているのだけど今日の美容師は手ごわかった
全然気にせず雑談し続ける
ずっと目を閉じてたのにずっと話しかけられ続けた
ここには二度と訪れるまいと思いつつさっぱりした頭で店を出た
美容師全員が無口
客も全員が無口
それに対して、その定義は可能なのか?抜け出せないヤツの存在自体が有り得ないんじゃないか?っていう意見を述べただけだよ。
ちゃんと読んでるよ。
http://anond.hatelabo.jp/20070217142603
よくわからないけど、「物語面などについては他の創作から影響を受ける側」というのは具体的に余所の分野の、どういう部位からの影響なのかな。思想的なこと? 技術的なこと? こういう話になるとどうも、ゲームと文学、ゲームと映画なんかの単純権威比較に陥りがちで、あげく最終的には各各の好きな作家や監督を列挙して、ゲームのシナリオって幼稚だよねーとか言う羽目になっちゃう。
単純に物語っつっても、それぞれの媒体で最適なかたちに落とし込んだものが良いものしてと評価されるわけでしょ。良い映画のシナリオをそっくりそのままゲームにつっこんでも面白いとは限らない。逆に物語が良いと評価されているゲームをそのまま映画にしてもどうも陳腐になっちゃうということも考えられるわけだし。その表現媒体の適性というか、特性を踏まえないとぐだぐだになっちゃう。
その観点からだとゲームの物語ってのは扱いが難しい。それの善し悪しがゲームの出来に直結しないことが多いわけだから。たぶん、大半のゲームにとって物語ってそれほど重要じゃない。ストーリーがぐちゃぐちゃでも面白いと思えるゲームってあるし、逆にどんなに面白い物語が付属していても、それがプレイを妨げたり、あるいはゲーム自身がその流れを阻害してしまえば意味がなくなってしまう。ストーリーがなくても構わないことだってある。
もしくはたどる度に展開の変わる物語もある。これなんかは別の媒体ではなかなか真似できないものだよね。これが許されるというか、成立する背景には鑑賞者とプレーヤーの違い、与えられた権限の範囲みたいなものが関わってくると思う。どこまで参加できるか、それを許すのか、というような。
ネット上の動画はもともとテレビの動画だったというスパイラルがある
著作権法上問題があるとしても、Youtubeのコンテンツの中心はテレビクリップだろう、違法アップロードによるコンテンツ提供がYoutubeを支えている、そしてそれに便乗するマッシュアップサービス、にこにこ動画とかRimoとかな。
違法コンテンツを全て削除したら、成り立たなくなるサービスにウェブサービス屋が嬉々として乗っかろうとしているところが、ぐらぐらしていて見てて冷や冷やさせられる。
だから動画共有サイトの流行は、バブリーな印象を受ける。日本の偉い人が本気でキレたら、一瞬でつぶされてしまいそうな感じがする。
http://anond.hatelabo.jp/20070217141514
「その」議論の同一性だけじゃなく、論者の過去の言動を知っていれば知っているほど役に立つ
あー、それをすっぽりと忘れてたわ。
つーことは俺がどっちの論の方が正しいか(all or nothingではなく割合の問題だとは思う。直感だけど。)を判断できないのは、経済学者としての池田氏と同じく山形氏の過去を知らないから、なのかも。
まぁ弾氏がPerlについて語ればそりゃ正しかろう大体は、と思うのと原理は同じかな。プログラミングの場合簡単に追試出来るから(だからハッタリが利かないor間違ってれば明確に分かる)、ってのはあるけども。
抜け出せない奴をクズと定義しているし、現在はクズの状態にいるが抜け出せる人間(彼の定義からすればクズではない)に対しての啓蒙は有効だって書いてあるじゃん。ちゃんと読んでる?
単につたないというだけの場合もあるし、わざと綯い交ぜにしている場合もあるだろう。書き手の能力を、他の文章・文脈などから推し量って、判断するよりないように思う。
ただ、いずれにせよ、端的に言えば
『自分の身の上話を、社会全体に対して発信してる』
のであろう。同僚と酒でも酌み交わしながら上司の愚痴と同列に位置づけられるような「格差社会談義」と質的に同程度の物がネットに上がっているのが現状だ。これを見ず知らずの人間がいきなり目にして違和感を覚えたとしても、何の不思議もない。
各業界にはきたるべきセカンドライフ日本語版にむけての準備プロジェクトがあるはずで、あと数カ月もすれば、もう大昔からセカンドライフという世界が日本に存在していたかのような振る舞いをする人間が現れるだろうことは簡単に予測が付く。
>http://www.geocities.co.jp/SiliconValley/8916/Macintosh/rimo.tv.screensaver.html>
rimo.tv.screensaverは、YouTube に掲載されている人気の動画から約1日おきに新しい番組プログラムを生成・配信する はてなのサービスである http://rimo.tvを表示するMacOSX用スクリーンセーバです。
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勝手にclass-dumpとstringsとotoolで調べたよ。概ね間違っていないと思う。
ジャイアンこと剛田武が歌う事を強く愛している事は疑問の余地がない。また彼が独自のセンスと才能をもって楽曲をつくり出していることも数々のエピソードから伺える。オリジナリティ、ヴィジョン、パッション、どれをとっても剛田武は本物のアーティストの資質を持っている。
しかし剛田少年は音痴だと言われる。彼の歌は、ひょっとするとノイズやアウトサイダー・ミュージックの愛好者には受容される余地があるかもしれない。しかしそれは彼の望むところではなかろう。彼は自分の名前を正統なポップミュージック史に書き入れたいと望んでいるのだ。だが歴史は彼のつくり出す音響を受け入れない。
剛田少年は自分の歌声を録音して聴く事もあるはずである。彼はそこで、自分の歌声の"異質さ"に気付かなかったのだろうか。気付かなかったのだとすればそれは認知の歪みによるものだろうか。そうかもしれない。だがもう一つの可能性が考えられる。剛田少年の音楽観は世間一般のそれより広いのだ。通常の限界を超えた領域にも、彼の耳は音楽の歓びを聴き取ってしまう。その震えるような歓びを分け与える為に彼は歌うが、聴いた者は耳を塞いで逃げ出してしまう。
ネットの文章を見てると、それが客観的意見なのか主観的意見なのかが、分からなくなる事がある。
社会全体に対して発信してるのか、自分の身の上話をしてるのか。
生産性どうこう格差社会どうこう非モテどうこう騒いでる人たちって、結局自分の話がしたいのか、社会の話がしたいのかどっちなんだ?
クズな状態から抜け出せない奴をクズって言うんだろうね。だから、クズは救えないけど、一時的にクズの状態に堕している一般人は救える。
抜け出せないやつなんかいるのか?生まれつきクズなんていないだろうし。
できたらクズになってないって言ってるけど、http://anond.hatelabo.jp/20070217052714は何すればいいかよくわかってないクズに気づかせるためのもんなんじゃねーの?全部正しいとは思わんが。
どんなやつにもクズな時期はあるんだよ。1日か10年か知らんけど。ないやつはよっぽど強いんだろうな。
今クズだってなんかやってみれば、人生変わるかもな。なんもやらないよりましだろ?クズなおじさん。