http://anond.hatelabo.jp/20070217142603
よくわからないけど、「物語面などについては他の創作から影響を受ける側」というのは具体的に余所の分野の、どういう部位からの影響なのかな。思想的なこと? 技術的なこと? こういう話になるとどうも、ゲームと文学、ゲームと映画なんかの単純権威比較に陥りがちで、あげく最終的には各各の好きな作家や監督を列挙して、ゲームのシナリオって幼稚だよねーとか言う羽目になっちゃう。
単純に物語っつっても、それぞれの媒体で最適なかたちに落とし込んだものが良いものしてと評価されるわけでしょ。良い映画のシナリオをそっくりそのままゲームにつっこんでも面白いとは限らない。逆に物語が良いと評価されているゲームをそのまま映画にしてもどうも陳腐になっちゃうということも考えられるわけだし。その表現媒体の適性というか、特性を踏まえないとぐだぐだになっちゃう。
その観点からだとゲームの物語ってのは扱いが難しい。それの善し悪しがゲームの出来に直結しないことが多いわけだから。たぶん、大半のゲームにとって物語ってそれほど重要じゃない。ストーリーがぐちゃぐちゃでも面白いと思えるゲームってあるし、逆にどんなに面白い物語が付属していても、それがプレイを妨げたり、あるいはゲーム自身がその流れを阻害してしまえば意味がなくなってしまう。ストーリーがなくても構わないことだってある。
もしくはたどる度に展開の変わる物語もある。これなんかは別の媒体ではなかなか真似できないものだよね。これが許されるというか、成立する背景には鑑賞者とプレーヤーの違い、与えられた権限の範囲みたいなものが関わってくると思う。どこまで参加できるか、それを許すのか、というような。