2024-04-14

先生”ということば

ラジオを聞いていたら、クラシック番組で投書を読んでいるなかで”○○マキコ先生”(田中ではない)と読んでいたところがあった。

その直後に司会のふたりで会話する中では”○○さん”といっていたので、おそらくは投書した人が”○○まきこ先生”と書いていたのだろう。

日曜日の朝にうつってきた合唱番組でもどうもいろいろなひとを過剰に”先生”と呼ぶのが気になる。

なぜかというえば、おそらくは聞いている人にとっては別に先生”ではないひとを”先生”とよび関係のない司会者に読ませ、そして、ラジオリスナーに聞かせることだろう。

当然のことながら投書をしたひとが○○先生の教え子であって教室で呼びかけるのであれば別によいのだが、抵抗を感じるのは、投書を読む司会者も聞く私たちも○○先生とは面識もないのに、強制的先生とよばれるひとが出現することだ。どうも学校はいまだに先生ははやっているようだし、弁護士法曹会)などでもはやっているようだ。

そうなると、合唱音楽世界自体学校のようなもの、または学校の延長のように考えられるのだろうか。

そういえばスポーツでも女子スポーツでは実業団でも監督を”先生”と呼んでいることもあるようだ。

まあ前にも書いたように、個人間の関係があればどう呼ぼうと勝手だが、それを外の人にも強制するようなことを抵抗なくやってしまうということに対しての違和感自分にはあるんだとおもう。

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