2023-01-25

anond:20230125102948

以下、上野千鶴子「おんなの運動論-1988」より

わたし啓蒙キライだ。他人から啓蒙されるほどアホではないし、他人さまを啓蒙するほど傲慢でもない。

フェミニズム運動は、自己解放から出発したはずなのに、いつのまにか「すすんだワタシ」が「おくれたアナタ」を

啓蒙するという抑圧に転化してしまった。

フェミニズム啓蒙主義には、リブ度に応じて女たちを「ススンデルーオクレテル」に序列づける権威主義がある。

ススンダ方はオクレタ方に正義押し付けあまつさえフェミニズム十字軍よろしく女の正義を「輸出」しさえする。

フェミニズム先進国後進国関係は、たとえば「アメリカ正義」を押し付けようとする抑圧的な植民地主義

変わらない。大きなお世話だ。何が解放かはテメェが決める。他人様のお世話になんかならない。それがフェミニズム

出発点だったはずだ。

おんなの運動は抑圧的な男権社会に対する対抗文化として、成立したとたん「対抗的価値」の尺度ができあがる。

法律婚をしているかしてないか。化粧するかしないか。夫を「主人」と呼ぶか呼ばないか。さまざまな尺度が「踏み絵」になる。

運動の退廃は、自分たち批判したはずの当の社会体制の歪みを、そのままカリカチュアライズして、しかももっと歪な形で

再現してしまうところにある。

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