いつも思うんだけど、魂が見えない人って作品のどこを見て評価してるんだろうか?
たとえばエヴァンゲリオン見たら結局何を見るかって「なんで庵野はこんな作品を撮ってしまったのか?」じゃん?
これは全ての創作物に対して思えることで、単に音や絵が気持ちよく並べられているかって作品の本質なんかじゃなくて「その作品で何がしたかったのか」こそが鑑賞すべきでしょ?
たとえそれが商業主義にまみれたものだったとしても、「あの監督が商業主義を割り切るとこういったものを作るのか。そしてその中でも結局伝えたいテーマとしてこれは抜けなかったのね」って。
俺が知らないだけで世の中の人って作品の奥にある魂なんて実際には興味がないのか?
「作者の人格と作品は切り分けられるべき」って安易に言う人がいるけど、あれも「作品で主張していたのは作者が皮肉で言っているのか、それとも正しい世界はこうあるべきだと知っているけど出来ませんって懺悔なのか」みたいなことを考えながらじゃなくてガチで「出力される作品と作者の人格なんて関係性完全に0だよ」と本気で思ってんのかな?
どんな人間にだって拘りは絶対あるし、それは普通の仕事でもそうじゃん。
自分でできることはなるたけ自分でやりたいと拘る人や、細かい所が妙に気になる人とか、そういう魂が仕事にはどうしても宿るもんでしょ?
やっぱ作品鑑賞で一番楽しいってのその魂の有り様を見ることだと思うんだよな。
んでさ、そういうの本当に一切見えてない人っていんの?
マジ?