オタク文化はもう放っておくだけで滅ぶ段階に来た。
「コラボ企画が行われているなんてオタク文化も市民権を得たのだなぁ」
感性の鈍いオタクは呑気にそんなことを考えているのかもしれない。
当たり前だがブランドイメージを大切にしている集団は安易にコラボなんかしない。
もしもコラボするのであれば十分な(時間的また金銭的)コストをかけるのが常であろう。
「手当たりしだいにコラボする」とでも言うべき状況とは一体なんなのか?
例えば、東京は黙っていても人は来るのだから宣伝なんか必要ない。
「さぁ、みんなで東京に行こう」なんて広告はなかなかお目にかかれない。
過疎化が進行して困った地方ほど「地域の魅力を発信!」なんてやりたがる。
改めて考えてみよう。
オタク的な感性のコラボポスターなんかに目くじらを立てる必要はあるか?
セルフネガティブキャンペーンをやってると思って放っておけばいいのだ。
良いことがあれば「オタクの功績」、悪いことがあれば「オタクは悪くない」。
まともな人からオタクをやめていき、あとにはカルトしか残らない。
オタク文化がフェミニストと関係なしに内側から自滅していくのは自明である。
そこで、このままフェミニストがオタクを悪く言い続けるとどうなると思う?