モトケン@motoken_tw
これってどうなんだろう。個人的には「死刑の要件を厳格にして、大量殺人鬼の場合に限定すべきだ」という議論は別に成り立つと思うのだけど。
ただし、これは正確には「死刑抑止論」とでも呼ぶべき立場であって「これを死刑廃止論と呼ぶのは不正確」という指摘はあるかもしれない。ただこれは呼び名の問題であって、些末な問題。モトケンさんもそういう意図で言ったのではないだろうし(もしそういう意図ならこの議論自体クソどうでもいい)。
この場合、別にモトケンさんの言っていることはそんなに新しいことではない。この主張を言い換えれば「多数人の被害者感情にどう応ずるのか」ってことだろう。
この辺の議論はさんざんなされてるところだし、Wikipediaにもよくまとまっているので詳しくは触れない。
一応一言すると、私はクリスチャンなのでやや前提が異なってきてしまうんだけど、①死刑にするより悔い改めさせることの方が大事、②刑務官に殺人をさせるのは不当、③憎しみ(大量殺人)に対して憎しみ(死刑)で返しても憎しみが広がるだけで遺族感情も癒されないのではないか、④人が裁かなくてもどうせ神様が裁いてくれる、という点で、モトケンさんの仮定に立ったとしても死刑は不当であると思っております。
ただこれは呼び名の問題であって、些末な問題。モトケンさんもそういう意図で言ったのではないだろうし(もしそういう意図ならこの議論自体クソどうでもいい)。 モトケンは半端...
死刑廃止論者なら当然そうなる(そう言える)というリプライに対し、モトケンさんが「たくさんRTされたところからすると、そうでない人が多かったんじゃないかな。」と返してるとこ...