匿名の発言っていうのは必ず個別の事情がぼかされるものなのだから主語や目的語が不明瞭になるのは当たり前なんだけど、増田の場合にはブコメで主語が大きいという指摘が乱発されるのをよく目にするのはなぜかといったら、増田に対しては主語が不明瞭ならば一般について述べたものであるという仮定で記事を受け取るというスタンスが人々の中にあるためであり、なぜそうなるのかというと、例えば同じ匿名である2ちゃんねるは掲示板であるから対話形式が可能という特性を持っているので、質問や提案の気軽さから主語がでかいなどと放言する意味が相対的に薄くなり、マウントを取りたいという目的のみがあるときに機能するワードとして主語がでかいというのが存在する一方、増田は対話可能性が低い記事投稿型のツールだから、投稿者の個別の事情を想定して批判するとなると的を得た批判をするには多方面にわたる可能性を網羅しなければならなくなって、主語がでかいで済ませた方が単純明解かつ文字数の節約になるわけで、実際に対話可能性がブコメよりも少し高いトラバには主語がでかいという批判はブコメほどには頻繁につかないよね。