真面目に答えず、出来る限り嘘と虚構を織り交ぜて答えていきたい。
なあ、よく考えてみてくれ。
例えば君がワイン好きだとして、ギフトにワインを貰うとしよう。
嬉しいか?
そりゃあ何かを貰うという行為そのものは嬉しいが、貰ったワインに対してもそう思えるか?
十中八九「ああ、『これ』ね」と思うだろう。
人の語る「好き」というものはな、君が思っているよりも遥かに厄介なのだよ。
それが本気でかち合えば、大抵はロクなことにならない。
相手が自分より浅くて狭いなら、失望するか自身の優越感の具にしてしまう。
逆に相手の方が広くて深いなら、逆に相手にそう思われるか、君が勝手に劣等感を抱くかだ。
「ただ好き」であることは許さない、「どう好き」であるかが求められるのさ。
そんなかち合いを、ましてや今日会ったばかりの相手と繰り広げるなど愚の骨頂なのだよ。
つまり、教訓はこうだ。
「君がワイン好きであろうがなかろうが、ワイン好きとワインの話はするな」
とりとめもない、天気の話でもしていればいいのさ。
......相手が天気好きだったら?
だったら、ワインの話をすればいいじゃないか。
朝食にワードサラダを食べたのだろう。
スパム抜きのな。