2013-10-14

小学生の時は

小学校しか世界を知らなかった。ちょっと大げさな表現だけど。まぁでも、子供は知ってる世界が大人に比べて狭いので、やっぱり学校という場所自分の中に占める割合はでかかった。少なくとも四年生くらいまではほぼ絶対的な場所だった。学校の中で如何に騒げるか、皆の注目を浴びれるか、それが絶対だった。それしか知らなかった。

高学年になると塾に通うようになって、学校って居場所が相対化されるようになった。

学校勉強だけじゃ駄目なんだ、塾にも行かず遊んでるような奴は駄目な奴なんだとそこでは教わった。今思うとそれも偏屈視野の狭い考え方なんだけどね。それでも学校っていう居場所を相対化できた点で当時は画期的な考え方だと思った。

で、私立の中学を受ける話が出てきて、受けることにした。地元が嫌いだったからね。

小学校の中でのクラスカーストは、そこしか世界を知らないだけに、より一層当時は絶対的なもんに思えたもんだった。

塾に通って、クラス内での人気度とは別の価値基準を教わって、そんなんくだらないもんだと思うようになった。

で、私立に行ったら行ったで、今度は成績と内申が絶対視されるようになるんだけどさ、

なんつーか、ある価値基準を絶対的なもんに崇拝すんのって馬鹿らしいなーって思う。

自分がどんくらいクラスの中で威張れるのかってのを鼻にかけるのと、自分がどんくらい学年で成績が良いのかってのにこの上ない万能感を感じるのと、自分はこんな立派な肩書きを持ってるんだぞぉって自慢するのは同じくらい馬鹿馬鹿しい。

なんかを勝手に絶対視するってのは滑稽なだけじゃなくて、危険でもある。

上手くいってる時は良いけど、そうじゃないと、勝手自分で絶対化した価値自分が苦しめられることになるし、自分勝手価値観を相手に無理やり押し付けてウザがられることもある。

記事への反応(ブックマークコメント)

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん