2013-05-10

卑屈さが捨てられない。

私は卑屈である

卑屈だから、対人関係で失敗しやすい。まずいわゆる「察してちゃん」である。きちんと頼んだら快く受け入れてくれるであろう些細な頼みを人にすることができず、「○○しようか?」という言葉を引き出そうとしてしまうのだ。また、ちょっとした注意叱責・訂正にも猛烈にヘソを曲げ、すねるところがある。

このような態度が幼稚で不快なことくらいはわかるので、このような行動は理性で抑えている。勇気を出して、「悪いんだけどできたら○○してくれない?」と言う。傷ついた顔を隠して「ほんとだ、気が付かなかった、ありがとう」と言う。

精神的に余裕が無い時にはボロが出るけれど、とりあえず表面上私はなんとかがんばれていると思う。

でも本来、普通の人は、顔を合わせればいつも和やかに雑談するような仲の人に(私には誰が友達で誰がただの同僚あるいはクラスメイトなのかよくわからない)、ちょっとしたお願いごとに嫌われないかどうかなんて悩んでいないんじゃないかとと思う。

トラブルに発展する前のケアレスミス勘違いを指摘されて、安堵や感謝こそすれ、人格を全否定されたかような落ち込み方をするのはおかしいはずだ。補足すると、これはプライドが高いからというよりも、元来が卑屈であり、自分自分に蓋をしていたその本性が溢れ出るからのように感じている。

この卑屈さはすなわち、「私は、自分に自信を持ってはいけないのだ」という奇妙にいじけた信念である、と気がついた。自分に自信が無い、のとは少し違う。私は、自分に自信を持ちたくないのだ。

もう少し、そう、健全謙虚さを失わない程度に、私に自信があったら、とても生きやすく楽になるだろう。それはわかっている。卑屈さが捨てられない。

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