2011-06-16

ムキになるのが可愛いとか意味わかんない

ムキになるのは余裕が無いということだよね。酷い場合には病的な精神状態ですらある。それが可愛いというのはどういう理屈なんだろう。余裕が無い相手だから支配できるという薄汚い支配欲が見え隠れしているという見方は偏見が過ぎるだろうか?よく言われるムキになるのは子供っぽいか可愛いという理屈は納得しかねる。子供っぽさにも好ましいケースとそうでないケースがあるはずだろ?だから子供っぽさの中でもどういう所が可愛いのかを言わないと説明したことにはならない。ムキになる人間可愛いのではなく可哀想が正しいんじゃないかね?心が弱い者に対して可愛いというのは歪んだ愛としか思えない。可哀想ではないのか?ムキになりやすい人間は、本人は真剣にムキになっているにも関わらず周囲からバカにされて悲しい思いをする。その気持ちに対して同情の気持ちを向けるのが自然なのに、人々はこぞって可愛いという。おそらく、自然に沸いてきた同情の気持ちを否定し、皆に倣って無理にでも可愛いと言ってるんだろうね。一種の悪ノリと言って良い風潮が蔓延しているように思える。ムキになりやすい人がそんな風潮に適応して何とか平穏な心で生きていくためには、いじられキャラという地位を確立するしか可能性はない。いじられキャラになればムキになって周りからいじられるといういつものパターンで周囲を和ませる存在となることができるとされている。本当は和みでも何でもないと思うが、もしいじられキャラにならずに単に頑固ですぐムキになる人間のままだと周囲から冷淡に扱われるだけだろう。本当はいじられるのが嫌いな人もいるだろう。だけど、他に選ぶ道が無いから無理にでもいじられキャラになろうとする。いじられキャラについて可哀想だと誰かが糾弾して、わかってないな本人喜んでるだろと周りから言われる場面によく遭遇するが、喜んでるという見方は必ずしも当たらない。人間誰でもSM両面を持っているからMの人でもいじられて傷ついたりムッとしたりはする。それでも快感のほうが勝っている場合はいじられキャラとしての地位に甘んじることができる。その結果、いじられキャラは喜んでいるように見えるだけなんだよね。M的ポイントをハズしたいじり方をされるとマジギレするのは当たり前として、それだけでなくM的ポイントを押さえたいじり方でもムカついてる場合があるということを知らない人が多い。いじられ役は得もするが損もする役回りだと理解していれば、場面によっていじられ役を交代するという少しは健全な発想になるはずなんだが、多くの場合そうはならずみんなで一人を寄ってたかっていじる始末だよね。いじられるのが好きな人と嫌いな人がいるんだから好きな人いじられ役をやらせたほうが良いという意見典型的ないじり役の視野狭窄だな。そもそもいじられることに無条件に心の底から好きということは無いということは既に言った通りだし、なのに好き嫌いがあるかのように見えるのはムキになりやすい人が泣く泣く妥協して適応した結果だということを忘れてはならない。

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