「今でもな、口だけは達者なんよ」
一見廃墟にすら見える店内で,100才にもなろうとしている彼女は呟いた.
この日僕ら双子の兄弟が、この駄菓子屋を訪れたのは全くの偶然だった.
10年以上前、僕らが小学校だったとき、その駄菓子屋は僕らの社交場だった.
親からもらった100円玉を宝物のように握り締めて、少年達がそこを訪れる.
10円ガム、20円のチューベット、5円のメンコ。
50円で当てたくじびきの一等賞。かけがえのない、価値あるゴミたち。
その頃、100円は確かに大金だったのだ。
また、キラキラに光るメンコたちもそこでは価値ある交換財として流通していた。
そこはまさに僕らの経済の中心地だったのだ。
のみならず、そこは政治の中心地でもあった。
放課後の夕焼け空の下、僕らは店の前で毎日真剣に討議していた。
例えば、とある日の案件は担任の先生が「バツイチ」であることについてだ。
2時間に渡る討議の末、ぼくらは「バツイチ」を「何かあまりよくないこと」であると定義した。
女の子を泣かしたか、など話題には事欠かなかった。
兎にも角にも、僕らは毎日その駄菓子屋に入浸っていたのだ。
最後にそこを訪れてから一体何年になるのか、思い出せないほどの時が経った。
ましてや大学で東京に行った僕はもはやその駄菓子屋の存在すら忘れていた。
再びその駄菓子屋を訪れたきっかけは、祖父の一周忌だった。
有難いお経を眠気に打ち勝ちながら聴き、
1万回ほどは繰り返されてるであろう親戚との会話を嗜み、
へとへとに疲れた法事の帰り道、たまたまその駄菓子の前を通った.
外から見る分には以前と何も変わらない様子の駄菓子屋の戸が開いていた.
「珍しい、ここ半年ぐらい戸が開いてなかったのに」
弟が気づいた。せっかくだ。十数年ぶりにあの店で何か買おう。
懐かしさも手伝い、我々は店の中に入ってみることにしたのだ。
戸の前まで来た、僕らは足を止める。様子がおかしい。
立ち込める埃独特の匂い、棚に張った蜘蛛の巣。
「ここ、もうやってないんとちゃうん」
そう呟きつつ中に入る。
おそるおそるカウンターの方を眺めると、
僕の存在に気づいた店主が、ゆっくりと顔上げる。
「すまんなぁ、もう何も売ってないんやわ」
と申し訳なさそうに言った、その時弟も店内に入ってきた。
ゆっくりと顔を上げてスーツ姿の2人を交互に眺めた店主はつぶやいた。
「あんたら増田はんか?」
店主は双子の僕らのことを、憶えていてくれた。
そのことに、驚きと喜び、そして懐かしさがこみ上げた。
「店、もう、やめてしもたんですか」
戸惑いつつ尋ねる僕に、店主は答える。
「もう、しばらく前からやっとらんのよ。
今日はな、たまたま用事があって、ついでに店よったんよ。
ここおったら顔なじみが来てくれるからなぁ。」
なお続けて、店主は語る。
「ちょっと前までは、アイスクリームだけ売ったりしよったけどな。
もう今はスーパとかで特価で売いよるから、こんなところで買ったら親に怒られるやろ」
僕らのかつての経済の中心地は、あっさりと巨大な資本主義の渦に飲み込まれていたのだ。
「けど、元気そうですね」
「今でもな、口だけは達者なんよ。もう体が痛ぁなって動かんもんな」
「そんなこといわんと、長生きしてくださいよ」
「いやぁ、あんたらもう結婚するような年のに、こんなに生きとって申し訳ないわ。
お迎えが来るんを待っとるんよ。」
意味がわかりつつも、こういう時どう言葉をかけて良いかまだ知らない僕は、
鸚鵡返しをしてしまう。
「お迎え?」
「中々な、父ちゃん、迎えにこんのよ。
早よう向こう行きたいけど、中々向かえがこんからな。
こっちから行くわけにもいかんからな」
店主が朗らかな笑顔で呟くと、ゆるやかな沈黙がしばし場を包み込む。
「会えて、良かったです。」
弟がフォローにならないフォローをする。
「また、来ます。」
入る前は何も変わってないように見えた駄菓子屋。
改めて見ると、戸は少し歪んでおり、壁の色は以前よりもずっとくすんでいた。
帰り道、頭の中で輝かしい思い出と、廃屋で朗らかに終わりを待つ店主の顔が交錯する。
あらゆるものが、目まぐるしく変化していく。
しかし、それでも店主は僕らのことを覚えていてくれた。
そこには、意味があるのだと思う。
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