「帽子」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 帽子とは

2012-02-11

アメーバピグお金を払ったアイテム

釣りゲーム ギンキラー(このアイテムが無いと銀色の魚が釣りにくい)

・好きなアーティストの被っている帽子に似た帽子(ファンの間でピグに被せるのが密かに流行してた)

・ピグのモーション

・ピグ部屋のインテリア

これまで多分1000円も使っていない。

2012-01-21

真説・ゲーセン出会った不思議な子の話

この度行定勲監督吹石一恵主演で映画化が決定した『ゲーセン出会った不思議な子の話』。だが、書籍化映画化が決定しても、このストーリーの書き手は決して名乗り出ることなく、ネット上ではこのストーリーに対し、様々な点から疑いが提出され、果ては低迷するアーケードゲーム業界によるステルスマーケティングではないかという説まで浮上している。

私は、ある裏情報から、このストーリーの書き手のIPアドレスを入手した。そして、エヌ県エフ市というある郊外の市から書きこまれた、という所まで書き手の所在を特定し、早速現地に向かった。

まず私はその街にゲームセンターがないかを探した。すると、今はもうないが、かつて「UTOPIA」というゲームセンターがその地にあったことが、分かり、そのゲームセンターに昔よく行っていた男性に話を聞くことが出来た。彼に、いつも帽子を被り、格闘ゲームをやっていた女性に心当たりはないか聞くと、彼はこう言った。

「あーあの女か!あいつはひどい女だったよ。なんだい、お前もあの女に騙された口なのかい?」



-----

その男性によれば、帽子かぶり、奇妙な振る舞いをする女性は確かにいたという。だが、そのような女性男性が放っておくはずもなく、彼女の周りは常に男性で囲まれていたという。

あなたも囲んでいた一人だったんですか?」

「ははは、まぁな。俺もあの頃は若かったからねー。」

その女性は機会があればあらゆる男性アプローチをかけていた。例えばふたりきりで居る時に急に泣き出して見せ、理由を聞くと、自分は家庭で居場所がなく、そのためこのゲーセンに入り浸っているのだと言ってみたり、あるいは「あなただけに打ち明ける秘密」として、自分は不治の病であり、もう長くはないのだと言ったり。そのようなアプローチ非モテ童貞が転ばないわけがなく、彼女ゲーセンで囲んでいた男性の一人を連れてラブホテルに行く姿も、度々目撃されていた。

当然、そんなことをしていれば人間関係はめちゃくちゃになる。その女性をめぐってのいざこざがそのゲームセンターでは日常茶飯事のこととなり、ゲームセンター治安は悪化、客足は遠のいた。そのゲームセンターが潰れた理由の一端は、あの女にあるんだよ!と、男性は語気を強めて言った。

だが、ゲームセンターが潰れたことにより、そのただれた人間関係自然に瓦解した。そして、時間の経過により、いつしか囲んでいた男同士の間で、「同じ女を追いかけた者同士」という仲間感が生まれ、今では良い飲み友達になっているという。

まぁこんな郊外の狭い人間関係の中じゃあ、いつまでもいがみ合っていても仕方ないからな!同じ穴を共有した者どうし、まぁ兄弟みたいな関係なのよ。がはははは!」

正直、このようなホモソーシャルは私にとってはとても気持ち悪かったが、それはともかく、私はその「兄弟」にも話を聞いた。しかし話を聞けば聞くほどに、その女性は、掲示板で語られたような可憐で無垢なキャラクターとは異なる存在に思えた。しかし一方で、その容姿や、外から見た雰囲気は、驚くほどあの掲示板で語られた内容と一致しており、そのことが私を困惑させた。

その女性は、今どこでどうしているのかを、なにか情報を持っていないか聞くと、彼らは口を揃えてこう言った。

「いや、全然知らねぇ。そういやあいつはどこ行ったんだろうなぁ……」

調査はここで行き詰まった。



----

あの「不思議な子」は今どこで、何をしているのか。手がかりを知るために、私はその街で聞きこみを開始した。すると、ある女性教諭が、彼女行方を知っているかもしれないというので、私はその女性教諭に話を聞きに行った。

その女性教諭は、今は教師を辞めていた。彼女に、帽子をかぶった、「不思議な子」の行方を知りませんかと聞くと、彼女はこう言った。



あいつは、死んだよ」



その女性は、元々彼女の教え子であった。そして、卒業後も頻繁に会っていたそうだ。その関係が、教え子と教師の関係どころか、友情を超えた親密なものであったことは、その女性について語る言葉の端々から見て取れた。

女性はとても不安定な人間だった。とても自己中心的であるように見えて、実はとても繊細で、誰かから嫌われていることが分かると半狂乱になり、彼女に怒鳴り散らしたという。「あの子はね、誰にも同じように好かれたかったんだよ。とっても、弱い子だったからさ。」そう彼女は言った。

そして、ある日、女性はある男にこう言われた。「お前みたいなビッチ!死んでしまえ!」と。

「次の日、この街の外れの崖からあいつは飛び降りたんだよ。」

女性飛び降りる前に、彼女にだけ電話を掛けた。その内容は、自分を悪しざまに罵った男性罵詈雑言であった。いつものことだったので、彼女が受け流していると、彼女最後にこう言った。



『結局、セカイは、あたしのことが嫌いなんだよ』



「私は、あの子の『セカイ』にはなれなかったのさ、結局。」

彼女タバコを吹かし、遠い目をしながら、そう呟いた。



-----

私は、彼女から、その女性飛び降り場所を聞き出し、そこに出かけた。掲示板に書かれたストーリーの書き手がどんな奴なのか、それはもう、私の関心からは外れていた。どうせ、最初に話を聞いたような連中が、面白がって掲示板投稿した話なんだろうと、そんなふうに思っていた。

そして、市の外れの崖に行こうとした時、私は一人の青年が、私の前を歩いていることに気づいた。その青年の手には、あの、トルコキキョウがあった。



-----

「ええ、私があのお話を書いたんです。この下で眠るあの子に、何か物語を捧げようとね……」

その青年は、そう私に告白した。

青年もまた、あのゲームセンター常連の一人だった。ただ、青年は、女性を取り囲む男どもの輪の中には入れなかった。遠くから、その女性を見つめていたけれど、声をかける度胸はなかったのだ。

ただ、一回だけ青年女性は、会話をした。喫煙所で、その女性に話しかけられたのだ。にっこり笑いながら、「君は、格ゲーはやらないの?」と。

「今思えば、ずーっと見つめられていたことに、気づいてたんでしょうね(笑)

青年が「格ゲーはやらない」と答えると、彼女格闘ゲームのことを沢山語った。ストリートファイター4というゲームさくらというキャラクター可愛いとか、そんな話を。

「ただ自分は、正直憧れの子に話しかけられたことで頭がいっぱいで、彼女が話す内容は全然頭の中に入ってこなかったんですがね」

そして、一方的に色々なことを話しかけられて、最後彼女はこう言った。「一回で知りたいこと全部知れるほど、簡単じゃないよ~」と。

「でも結局、私が彼女と話せたのはその一回きり。そのあとすぐ、そのゲームセンターは潰れてしまって……」

そして青年は、その女性の思い出を抱えたまま暮らしていたある日、ある女性が、崖から飛び降りたということを耳にする。そして調べていくと、その女性は、あの憧れの子であったことを知った。

「それが分かると、居ても立っても居られなくなって、そして、気づいたらあの物語を書き上げ、掲示板投稿していたんです。」

そしてその物語によって、青年彼女をこの汚れたセカイから救い出し、自分との、「永遠の愛」の中に、匿ったのだ。



-----

気づけば、話すこともなくなり、私と青年は無言のまま海の向こうを見つめていた。

この話を発表すれば、この青年の「永遠の愛」は破壊され、セカイにあふれる汚らしいゴシップネタとして消費されるだろう。だが、私はそういうことをしなければならない職業だ。だからしょうがないんだ……と、私は一人自己憐憫に浸っていた。

そんな時だった。海の向こうから、「ゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴ」という音が聞こえてきたのは。

「一体なんだ!?」と思い、私と青年が海の向こうを眺めると、そこには



クジラの上に、キャスケット帽をかぶった、ショートヘアーの、吹石一恵によく似た女性が、立っていた。



クジラは猛スピードでこっちに向かい、崖に突っ込んだ。あの子は空に向かって羽ばたき、そして、青年の胸に飛び込んだ。そして、彼女はこう言った。



彼女「ずっと待ってたんだよ、あなたが、私のことを呼んでくれるのを」

青年「え、それっとどういう……」

彼女「鈍感だなぁ君は。」



彼女「わたしは、ずっと君が、わたしを好きだって言ってくれるの、待ってたんだよ。」

彼女「でもひどいなぁ、私のこと、物語の中とは言え、殺しちゃうなんて。そんなに薄幸美少女萌えなのかい?この~」

青年は呆気に取られたようだったが、しばらくすると、何が起きているのかに気づき、そして、まるでこどものようにわんわんと泣き出した。そう、悔し涙ではなく、嬉し涙を。

彼女「君は、絵を描くのが好きとかいう風に書いてたけど、それは本当?」

青年「いや、絵は全然描けないwコピックマルチライナーっていうのを見かけて、その言葉の響きが良くて、つい使っちゃったw」

彼女「そっかー。わたしも絵は全然描けないよw格ゲーはどうだい!」

青年「それも全然wコンボとか正直覚えられるわけないし」

彼女「よーし、私が特訓してやろー。お姉さんに任せなさーい! 」

もう、私がここに居ることはお邪魔だろう。そう、物語の結末はいだってこうあるべきなんだ。



あ、そういえば一つ言い忘れたことがあったことがあったっけ。それを言っておかなきゃ。



俺「トルコキキョウ花言葉はね、永遠の愛なんかじゃないんだよ。



 希望 さ。」



http://www.youtube.com/watch?v=bnF51V-VkQc

2011-11-17

http://anond.hatelabo.jp/20111117213149

客先に帽子かぶって行くのが不躾ならかぶって行くのは自分不利益だろ

不利益だと感じるならやめればいい

携帯電話を使うことにどこに不利益があるんだ?

http://anond.hatelabo.jp/20111117212729

いやだから実際やってみろって。お前がどう思うかなんて関係ないんだって

アメリカ人捕まえるのが難しかったら、客先に行くとき帽子でも被って行って、「なんで帽子取らないといけないんですか?実害ないじゃないですか!」って力説すればいいと思う。

2011-11-16

http://anond.hatelabo.jp/20111116164838

何を言ってるんだ?

五右衛門は、斬鉄剣と合わせれば、「なんでも切れる」って設定なんだから普通に考えて金庫とか関係ないし、壁も障害にならない。

次元は、後付だけど「帽子を被ってれば」すごい命中精度なんだから、大抵の物が苦も無く破壊できる。

でも、ルパン三世で、彼らを随行しても、そういうシーンってあんまりないだろ?

美学といろいろと理由は付けられるが、次元と五右衛門を、考え得る最高効率で活用してない。

まり、一刀両を門番で使ってるようなもんだ。

もったいないよな、超絶なスキルもちなのにさ、有効活用されてない。

2011-11-14

ニートの弟

大学を出てから定職もつかず、家でネットゲーばかりやっている。

母親に、家のネット回線こないようにしようと提案すると、

・かわいそう

仕事を探すのに必要だから

・○○のクーポンを教えてくれたり、あれで少しは役にたっているのよ



とのこと。



わたしは、大学を出て男も出来ず作らず、気がついたら10年も働いているというのに、

弟は8年間、なんだかよくわからないネットゲームに没頭しているだけで正直いって

我が家害悪穀潰しである



あなた30歳になったら、この家でていきなさいよ』

「姉の家ならともかく、おねーちゃんに言われたくないよ」

『稼ぎの無い者が偉そうに言わない』

「俺、働かないんじゃなくって、ほら、病気からさ・・・・・・無理なんだよ・・・・・・働くの・・・・・・」

『それじゃ、せめて家事ぐらいしなさい』

家事は無理だよ、せいぜいタバコの不始末でぼやを出すぐらいで」

『ふざけるな!あなた誕生日になったら絶対に出て行ってもらいますからね』

「・・・・・・。」



それから、1ヵ月が経ち弟も30歳になった。



未だに働いていないが、流石にごろごろばかりしているのはまずいと思ったのか、

漬け物だけ漬けるようになった。

それからどこで覚えたのか、編み物をするようになった。

今は帽子を編んでいるようである

2011-11-09

寝起きにゼリー

ブドウ糖を避けた方が良いという日記が注目を集める中逆の日記を書いてみる。

血圧が基本低めで、空腹時は膝からよく落ちて、しばらく座った状態から立って伸びなんかしようものなら9割目の前が真っ白になる。

そんな状態だけど、調べてみると一応正常の範囲内ではあるのね。

去年までの4年間で

血圧

低 54-62

高 98-106

ぐらいで。

グルコースヘモグロビン赤血球白血球、共に健康診断の正常範囲の最低値をうろついている。

基本血が薄いのかな。

一番困るのが朝。

3度寝とか当たり前である

頭が全く回らない。

目覚ましのスヌーズを切りはしないので、そのうち覚醒はしてくるのだけど、1時間は頭が死んでる。

特に冬は酷い。

一時期は帽子をかぶって寝ることで頭を温めるとかやってみたけどあんまり効果がなかったので諦めた。

そんな中。

最近、夜起きていられず、寝落ちをよくかますのだけど、今日は持ってきたゼリー一口食って気がついたら寝てた始末。

起きて机の上にゼリーを見つけてがっかりだ。

で、寝ぼけた頭で、「開けちゃったし食べよう」と、起きて1分でする行動じゃないことを選択。

改めて寝起きの俺はいかれてる。

思い返してそう思ったのだけど、それが自分人生で始めての体験を起こした。

ゼリーを全部食うまでもなく眠さに耐えきれずまたベッドで横になったのだけど、何分かしたら目が冴えてきた。

徐々に覚醒するのがわかる。

ちなみに、おととい徹夜、昨日は6時間ぐらいなのでトータルではそれなりの睡眠不足状態で、多分今日も5時間ぐらいしか寝ていない。

遅刻寸前なら無理にでも覚醒出来るけど出るまでまだ4時間もある。

その状態で15分もしないうちに完全に覚醒した。

そんなに長く生きてもいないが、人生で初めてと言ってもいいほどさっぱりした寝起きだ。

エントリーを見る限り、自分も出来れば炭水化物ブドウ糖を避ける生活をしてみたいが、いかんせん、食的に低血糖時間を作らないことは不可能に近い。

昼飯食べる時間なんてバラバラだし、間食なんて不可能だ。

よく、身近な人に血圧とか血糖値が低いという話をすると、「飴とかチョコとか取ると良いって言いますよね」と言うんだけど、同じ職場人間ならそれが出来ない事は察しろ。

でも、タブレットぐらいならどうにかできないこともないかもしれない。

とりあえず、血糖値を下げ過ぎないという手法で生活改善を行えるか実験してみよう。

ちなみに家を11時に出れば間に合うのに今日起きたのは7時。

有意義なんてレベルしない。

何でもできる気がする。

とりあえず薬局に行って、簡単に取れるブドウ糖を探してみよう。

そして、今日の日中だるくなったりしないか明日の朝も早起き出来るか、実験してみよう。

2011-11-05

モバゲーベイスターズ

野球なんて馬鹿のためのスポーツなんだから、同じく馬鹿を相手にするモバゲーと相性は良いと思うんだよな

それこそ「応援のためのアイテム課金」とか始めたら絶対潤うよ

なんてったって観客や応援する奴らは馬鹿ばかりだから

まあ、メガホンやら帽子買うこと自体アイテム課金みたいなもんなんだけど

2011-10-13

髪の毛

育児で疲れてしまった

イライラしてしまい、子供が寝ている間に髪の毛を自分ザクザクと切ってしまった

それ以前に既につむじがストレスではげてしまっているのでもう半年帽子生活を続けてる

そういう行動に出た自分の弱さに余計にイライラするのだけれど、髪の毛をザクザクと切るのは結構気持ちよくてストレス解消してる感じがしてしまった

何だか不思議

2011-10-05

出生届と死亡届を一緒に書くということ。

兄(の嫁)が子供を生んだのはちょうど3年前。

うちの家族初孫でみんなものすごく喜んだ。

同時期に兄の一歳下の姉も妊娠しており、その3ヶ月後に出産をひかえていた。

同級生になるね、なんて話していたのはそれくらいの時期までだ。

姉のお腹は異常に大きくなってきて、痩せていた姉の浮き出る肋骨とは対象的に、なんか怖い感じになっていた。

「なんか怖い感じ」は病院検査した結果「羊水過多」と診断された。

お腹赤ちゃんの肺がうまく発達しておらず、栄養である羊水を吸収できていないらしい。

からお腹はどんどん大きくなっていた。

大きな病院入院した姉は、羊水を抜いたりしながら出産に向けて慎重に過ごしていた。

ほぼ確実に障害を持って生まれてくるだろう、と言われていた。

12月のすごく寒い時に、姉はなんとか出産した。

赤ちゃんは見ていないけど、姉から見せてもらった写真では髪の毛もしっかり生えていたし、

体重も2000グラムくらいあったそうで、少し小さい赤ちゃんって感じだった。

でも少し小さい赤ちゃんは鼻に大きな管が通っていて、それを固定するためにほっぺにはぞうさんのイラストシール

貼られていた。生まれた赤ちゃんは様態がよくなく、姉はうちから時間半の病院毎日赤ちゃんの面会に行っていた。

限られた時間しか会うことができず、さらに抱っこすらできない。

管まみれで寝ている赤ちゃんに触るだけだ。

姉は、完全にやつれていて、でも今日は動いた、とか、今日は笑った気がする、とかそういうことを話していたと思う。

よその赤ちゃんはなんで普通に生まれてくるのだろう、と誰にも言わないが家族みんなひたすら思っていたと思う。

12月30日にもうだめかもしれない、とお母さんから聞いた。

12月31日、赤ちゃんは危篤状態だった。

1月1日。世の中は新しい年が来たことを喜び、騒ぐ中で、赤ちゃんは息を引き取った。

の子が生きたのは20日間。

480時間だけ。

あんなに悲しい元日は二度とないだろう。

亡くなる直前に、姉は初めてわが子を抱いたらしい。もう死んでしまうとわかってからはじめて子供を抱く心境というのは

正直想像できない。

かわいい姪っ子に私が初めてあったのは、元旦の夜。

遺体が悪くならないように家で暖房をつけず、寒かったことは覚えている。

赤ちゃんは、私がプレゼントしたピンク帽子手袋をしていた。小さいうさぎプリントの。

はじめての外は寒かったかな。

姉が赤ちゃんを抱き、母が「○○ちゃん、おうちだよ」と言いながら入ってきた。

用意していた新品の布団に、冷たい赤ちゃんを寝かせた。姉が写真を撮って欲しい、と言った。

初めての親子の写真最後の親子の写真

友人や知人、ドラマ映画漫画小説、あらゆるとこでみる「出産」に、こんなのはなかった。

一年半後、姉はまた妊娠した。

多分、赤ちゃんしか悲しみが埋められなかったんだと思う。

みんなが祝福したし、みんなが緊張していた。

万全の体制で、とにかく健康に生まれてきて欲しいと思っていた。

生まれてきた男の子赤ちゃんに会いにいった。

赤ちゃんはまた、見たこともないくらいの数の管を小さい体にたくさんとおして、そのせいか、顔がうっ血してすごく茶色かった。

仰向けに寝かされていて、足も、うでも、顔も、お腹も、管がついていた。

おむつがぶかぶかだった。

なんで私が会えたかというと、もうすぐ、亡くなるから、だそうだ。

管さえ外せば亡くなる様な状態だった。

でも確実に生きていた。名前を呼びかけると、苦しそうな茶色い顔して、管のついた足を上げたりした。

の子はどれくらいの苦しみとか痛みの中で私たちに答えてくれたんだろうか。

あいときの個室は、もう異様なくらいにみんな穏やかで、

「○○くん、すごいねえ〜〜」なんて話しかけるしかできない。そういう優しい話し方でしか空間を保てない。

一人目の赤ちゃん写真をもっと撮ればよかった、と姉が言っていたので

私は看護師さんに許可をとり、たまたまもっていたコンデジ写真を撮りまくった。

ムービーを撮りまくった。そこには動いている赤ちゃんが写っている。

みんなが呼びかける声が残っている。一人目の子の時には残せなかった、生きていた証。


翌日その子も生きを引きとった。2日しか生きてない。

48時間しか生きていない。

赤ちゃんが亡くなったあと、姉夫婦が初めて赤ちゃん沐浴をしている写真がある。

やつれきった二人に、茶色赤ちゃん。顔がむくんでいて、痛々しい。

天国お姉ちゃんがまっているから、仲良くできるね」なんて奇妙なセリフにみんな同調していた。

見たこともないくらいの、小さな棺に、赤ちゃんは入れられた。

管をつけていたせいで顔にはあざがたくさんあった。

健康赤ちゃんが生まれてくることが、なんでこんなにも難しいことなのか、

こんな悲しみがなぜ姉に2度も訪れるのか。

どこにもぶつけられない感情家族を覆った。

出生届と死亡届を一緒に書いている姿は、何にも例えられない光景だった。

2人の赤ちゃんが生まれてすぐ亡くなった原因は未だにわかっていない。

このことを思い出しては、本当に姉が不憫になるし、今も働きながら、本当は苦しみながら、前向きに生活している様子に心底尊敬する。

2011-09-21

http://anond.hatelabo.jp/20110921153515

脱構築ときましたかww

ダメ」の根拠が全部今のパラダイムから検討なんだもん。

宗教の中にいる人に教義を離れた大きな枠組みを検討させるのは簡単じゃないもんだけど。

だって「今のパラダイム」の言葉じゃん「オバサン」てww そりゃ今のパラダイム内でケリついちゃうでしょ。

新しい価値観に移行させたいんなら再構築してみせてから言えよwww



君も言ってるように全部「女子」の亜種。

「オバサン」ではない。

「オバサン」は死の世界、という女子至上教義からミリも踏み出して無いとこで考えてるから

結論は女子至上協議の枠内に収まるに決まってるよ。

マダム」は輸入にちょっと失敗しちゃったせいでギャグだけど"Madame"は「女子」至上主義じゃないんじゃね?

俗に言われてるMademoiselleとの対比からして。

そしてたぶん、「オバサン」でもない。



脱構築せよ」という話に対して

君の一案は「ワタシスタイル」というきわめて既存雑誌メディアの文法やセンスに忠実なもの

からそこから出ろということを再三述べてるからここで1から繰り返さない。

脱構築せよ」だなどと突然言い出したのはお前さんだということはこの際措いてやろうw

要するに既存雑誌メディアの文法を捨てろってこと?

なら「スタイル」だなどと既存雑誌メディア武器を持ち出してくるべきではなかったんですよ。最初から

それにやっぱり「オバサン」も持ってくるべきじゃあなかったな。せめて「失った人」に反駁する感じで解体して定義し直してくんないと。

つってもどうせやらねーんだろうから自分でちょっとだけやってみるけど、「小母さん」の定義辞書によれば「よその年配の女性を親しんで言う語」だ。

で、本来年配の人っていうのは「失った人」というより「手に入れた人」のはずなんだよね。何をって経験とか人生とかを、だけど。

それがごっそり無視されてるというか、価値としてカウントされてないのがアレですよね。

つーても「年寄りをうやまえー」とかじゃなくて、ステレオタイプだけどいわゆる近所のおせっかいおばちゃんのポジとかかつてはあったはずなんだよねっつー。巻き戻しても詮無い話だけど。

あと「よその」とか「親しんで」ってのがすごく嫌な感じに作用してしまっていますね「オバサン」においては。

流行の潮流、渦中から見た「外部のサエない他人」感の強まり方が半端ない。



「毎食そのへんの犬を捕まえる部〇です

「お昼にイルカを採る太地です

ぐらいの人でないなら差なんかない。

日本の中での君の個性や個人差なんてその程度のもんだ。

いやいやwそれは単なる主観による決めつけだからww 根拠が薄弱、つーかもう無根拠の域。

キミ理論だと例えば昼は栄養点滴でしたって人と焼き肉食べて腹はちきれそうって人とに差がないとかになるわけ?ww

住んでるところとか勤め先とかイヌイルカのペアよりはたぶん近いけどさwww



女子しかない超ストリクトスタイルに慣らされて従順な人が

他の多様な可能性に圧力を感じるだの不快だのというのは理屈の通らない話だよ。

今のスタイルに慣らされすぎてる脳の形までそうなっちまってるだけだ。

変化が不安不快というアレ。

え…何を見て「女子」に慣らされてると思ったん?w 「オバサン」ディスってたから反射的にそう思っちゃったん?

慣れてるなら「女子」の万能感がウザいとか言わんでしょ普通

むしろ馴染まないからウザいんだし、出てきたのがオバサンっていうのも事実として「コインの裏っかわ」で意味ねーから意味ねえよって言ったのよ。

反論するなら非コイン裏の「オバサン」をひとかけらでも具体的に提示してからにしな。



からないだろう?

もう骨身に食い込んでてその異様さどころか存在すら自分の目には入らないからだよ。

意味が判らない、と言ったんですよ。何が異様かわからない、ではなくて。というか強いて言えばキミの文章が異様だったわけだけど。



全然違う。

から毛がなくなったら尼か坊主でない限り不便に決まってるし、

安定収入が絶たれたら辛いのは当たり前だ。

これはスタイルから降りる降りないって話じゃあないよね。

探してもそんな不出来な例しか挙げられないのはつまりそういうことだ。

そもそもがスタイルから意図的に降りる降りないの話じゃなかったんじゃね。スタイルから「外れる」とめんどくせえっていう話だったはず。

あと毛髪がないことの「不便」って何だよw 頭で床にモップがけでもするのか?ww 日焼け? 帽子かぶってろ。

「アレな目で見られる」っていう社会的な弊害は「スタイルから外れたせい」だから、不便ていうよりは先述の「同種の恐怖」にカウントですよ。

安定収入が絶たれてつらいってのももっともだ、だがそれだけで「リストラ=もう自殺」とは普通ならない。

敢えてそこをイコールで直結させたんだから意味は汲めよ。



いや、「オバサン」というだけで死の覚悟が必要になるのは「女子」至上教義独自のものだね。

そうでもないんじゃね。「死の覚悟」とか出したのはそちらさんだからこっちはよくわからんけど。いろいろごっちゃにして「死の覚悟」って言ってない?

まず自然摂理として、老いるということはあれこれ出来なくなっていってごく緩慢に死んでくってことだからガチで直面するときは死に近づく覚悟が問答無用で必要なもの

これは本来性別も問わないレベルの話で、女においてはその「老い(始め)」に気づく段階の象徴としてわかりやすく「オバサン」が置かれてるってだけ。

でこれに伴って、かつて出来たことが今出来ないってことで、「出来る」潮流からは外れざるを得なくなる。こっちの方が大半の「女子」には怖いんだと思う。

それこそ死のごとくっていうか、ある意味死そのものよりも怖いだろうな。身を包む「もうおしまいだ」感。グループからさしたる理由もなくハブにされたときのアレ。

これは「女子」至上主義の弊害に数えられなくはない点だけど、至上主義にまでなる前の時点で元々「女子」というものにそういう素地があった。小学生女子から続く素地が。

それが雑誌フレーズとして拾われて振幅してるってのが現状、ではないかな。

「覚悟するくらいしかテがないのが怖い」って書いたけど、厳密には「事前に欲望を整理できなかったタイプの高齢女子がいざ直面しても覚悟できるかどうかわからない、その絶望の可能性が怖い」って感じだわ。



女子至上教は生まれの差別がなく

全員生誕30年も経てば地獄が迫りながら地獄に目をつぶる苦行地獄(君の言葉で言えば全員がん患者

っちゅー教義となってるから

平等進歩的ではあるかもしれないよ。

平等」と「進歩」に関して辞書ひいとけw

あとがん患者地獄に目つぶらないから。比喩取り違えすぎですよ。

「直面したら覚悟するしかない」って言ってるでしょ。

無視なんかできねーの少しずつでも受け入れるしかねーのよ。老いのごとく。



ヒンドゥーの中で被差別階級生まれな人にはメリットだらけだね。

何でチョイスが仏教なの? って聞いてるんですけど。

流石に宗教によって虐げられてる人が宗教捨てる理由は想像つくから

2011-08-12

http://anond.hatelabo.jp/20110812021259

まどマギ』は、ファンタジーな設定に現実の重さを乗っけた作品だけど、『ピンドラ』は逆。

妹の死という現実に直面する兄弟に対して、次々とファンタジーが襲来する。

謎の帽子、謎のプリンセス、謎のペンギン、謎のストーカー女…

奇妙な連中とドタバタを繰り広げるうちに、いつのまにか「シリアス」は掻き消され、「コミカル」に支配されている。



語弊を恐れず言えば、『まどマギ』は視聴者に緊張を強いる作品。

常にQBの言動に惑わされ、衝撃の展開の連続で、魔法少女たちは苦しみ続け、主人公はずっと何もできない。

からこそ最後に最大のカタルシス生まれる。



対して『ピンドラ』は「見ているだけで気持ちいい」というタイプ

決して作画が良いわけではないが、色彩やデフォルメが駆使され、快楽的な絵が作られている。

そして、おそらく無数の謎は最後まで解決されない。



というわけで『ピンドラ面白いよ。

2011-07-28

拝啓お母様

私に殺されると知らず、幸せに孫に囲まれた老後を楽しんでいるでしょう。

娘が35年間地獄の苦しみから抜け出せずにいるとも知らないでね。

私はアスペルガーという奴で、これに関して母親を責めるつもりはない。

責めたいのは、産んだこと。姑(ばばあ)の圧力を感じながら、「女の子がほしい」という軽薄な理由で出産したこと。

その子供先天的に障害?で日大病院軟禁された時に、搾乳をせざるを得なかったと恨みがましく語られたこと。

「どこかおかしい」子供の行いで他者と軋轢が起きたら、すべて「普通の子と同じにできないあなたが悪い」。

草加(笑)の仏壇の線香が、芸術的な美しさでくず折れていたので、これに触ったらどうなるんだろう、と好奇心が湧いた。

当然灰は崩れた。あの人は何も聞かずに私を怒った。

上級生が私の帽子を取って、通学路を外れても、あの人はとにかく私が悪い。

あの人は私に敷いた悪逆無道な暴言をすっかり忘れていた。

自分はいかにいい子育てをしたかしか脳内にない。

発達障害の診断のため、会わざるを得ない。

あの女を殺さないでいられる自信がない。

2011-07-21

http://anond.hatelabo.jp/20110721232511

ええ、夏碓井から霧積へ行くみちで、 渓谷へ落としたあの麦稈帽子ですよ。

「息子の麦わら帽子放射能はだいじょうぶでしょうか」

屋外で保管した稲わらだよ…

どんだけだよ…

2011-07-07

散歩の途中だった。

道路で猫が死んでいた。車に轢かれたのだと思う。外傷は然程なく、出血も耳鼻から微々たる紅が垂れている程度なのに。寝ているようにさえ見えるのに死んでしまっていた。

形ある小さな純白の遺骸。見下ろしていたら、少しだけ視界がぼやけた。夏は真っ盛りで、気温も天井を打つ午後二時の四辻には、蝉の鳴き声と幻覚のように立ち昇る陽炎とだけが密集している。

密集。

ジリジリと照りつける日差し帽子越しに感じながら、私は猫を見下ろし、ぼんやりと立ち尽くして、いまこの四辻に密集しているものごとについて思いを巡らした。

遠くの幹線道路を、車はどんどん走っている。

ふと、この猫は一体いつ死んだのだろうかと考えた。ここは閑静な住宅地のど真ん中なのだ。この時間帯で近くを走る車は皆無に等しいし、この猫にしたって炎天下の中を歩き続けることは避けていたに違いない。昨日の夜から明け方にかけて轢かれたと考えるのが妥当だった。妥当だったが、どうにも腑に落ちない。

猫の遺骸があまりにもきちんと横たわりすぎているのである。蠅がたかっていない。烏に啄かれてもいない。そもそも遅くとも明け方には死んでいなければならない骸なのだ。とっくの昔に近隣住人に発見されているだろうし、ともすれば保健所に連絡が入っているはずで、いくら他の雑務に駆られているからと言ってこの時間まで放置されているのは不自然な気がした。

万が一保健所の職員が来られなかったとしても、この時間になるまで四辻の真ん中で横たわっている状態はおかしい。近隣住人の嫌悪感が理由になるのだとしても、その心理が私には理解出来ない。

しゃがみ込み、そっと力を亡くした四肢を動かしてみる。蟻さえも近づかなかった猫の死骸は剥製と見紛うばかりに美しく、ともすればふとした拍子に生き返ってしまうのではないかと思わせる躍動に満ちていた。あるいはただ単に気絶しているだけなのかもしれない。急いで病院に駆け込めば、一命を取り戻すことだってあるのかもしれない。

けれども私は、その骸を両腕に抱いた瞬間にわかってしまった。確実にいまこの瞬間に白描は死んでいる。死んでしまっている。不気味なほど力のない、弛緩しきった骸の冷たさが肌に滲むかのようだった。

いま腕の中にあるもの、それは猫の形をした何かだった。限りなく猫に近いくせに、決定的に猫ではない塊だった。

蝉の音がシャワーのように降り注ぎ、容赦のない太陽と立ち昇る陽炎とが私を燻すように熱している。

白い猫の綺麗な遺骸を抱きながら、ぼんやりと重たいなと思い始めていた。三キロ? それとも五キロ? いやいや七キロ以上はあるまい。とは言え、市販のダンベル一つで十分足りてしまう重さだった。ダンベル、たったの一つ分。

この白猫はどうして死んでしまったのだろう。立ち尽くしたまま考えるでもなく考えてみた。骨格に酷い損傷は見られない、外傷もそんなに目立つものはないのに、どうしてよくできた縫いぐるみみたいになってしまってるのだろう。

きっと打ちどころが悪かったんだよ。誰かが答えた。仕方がなかったんだ、運が悪くてね。そういうこともあるものなんだよ。

そうなのだろうか。そういうこともあるのだろうか。そういうことがあってもいいのだろうか。じっと猫を見つめながらじくじくと問い続けた。責め続けたのだった。

まりにも理不尽に過ぎるような気がしたので。

突如としてその言葉が私の周りをひしめき合うように囲い始めた。空から降ってくるものもあれば、地面から生えてくるものもあり、霧が晴れるかのように現れたり、気がつけばいつの間にかそこにあったものなど様々だった。大理石のようなもの、切り出した木くずが組み合わさったもの、丹念に砂で固められてもの、雲のように輪郭線がはっきりしないものなど素材までもが多岐に渡っていた。

夏の炎天下。人気のない四辻で白描の遺骸を抱いた私は理不尽という言葉に囲われている。どうしてなのだろう。答えは出ない。どうしてなのだろう。絶対にわからない。

もぞりと、腕の中で猫が身動きをした。見ればぐるりぐるりと丸まっていく最中で、手足は屈められ尻尾が穏やかに首に巻きつき、背骨が曲がりに曲がり、遂には丸々とした真っ白な毛玉になってしまった。

風など吹いているはずもないのに、そよそよと白い毛並みは私の肌を撫でていく。心地良い。思った途端にふわりと浮かんで、毛玉は空へと昇っていった。ぐんぐんぐんぐん青空に呑み込まれていって、二度とは戻らなかった。

呆然としたまま空を仰いでいた私は、ふと我に帰り視線を正面に向ける。ひしめくように周囲を囲っていた言葉たちは知らない間に消えてしまっていた。

四辻に残されたのは私一人だけ。

ジリジリと照りつける日差し帽子越しにも熱く感じられる。蝉は変わらず鳴き続けていて、遠く幹線道路を走る車の音と、途切れ途切れに聞こえる風鈴音色とが細かく耳朶に届いている。

今日、猫が死んでいるのを見つけた。外傷は然程なく、出血も耳鼻から微々たる紅が垂れている程度だったのに、猫は確かに死んでいた。

きっと、それだけのこと。

私は再び散歩をし始める。

2011-05-29

もしドラを見終えた

アニメの方




ゆうきは最後にはきっと病気が治ってむぎわら帽子かぶってベンチで応援するんだと思ってた

いや信じてた

このアニメマネジメントに興味を持ってもらうために子供に見せたいと思ったけど、

人が死ぬストーリーはま感情がよくわかっていない子供に、

「悲しい」と「感動」を混同させる可能性があるから見せたくはな



ゆうきが死ななければ、もしドラはすばらしいアニメ

2011-05-04

今日フェロモン香水被害です

今日フェロモン香水被害ですた。

小田急線新宿に向かっている途中で、

ギターのケースを持った帽子をかぶってないアラレちゃんのような

女の子が乗車してきたのですが、

なんか、そのあたりから、海綿体に急速に血液が充血してきて、

また、大変なことになってきました

とりあえず、席を立ち、他の場所へ移動していきました

肝臓の辺りも痛くなるので、

早く、麻薬及び向精神薬取締法なんかに分類されて、

取り締まられてほしいと思う今日この頃です

2011-04-13

「騙された」とか歌って喜んでる斉藤和義信者はこれ読めよマジで

戦争責任者の問題

伊丹万作


 最近、自由映画人連盟の人たちが映画界の戦争責任者を指摘し、その追放を主張しており、主唱者の中には私の名前もまじつているということを聞いた。それがいつどのような形で発表されたのか、くわしいことはまだ聞いていないが、それを見た人たちが私のところに来て、あれはほんとうに君の意見ときくようになつた。

 そこでこの機会に、この問題に対する私のほんとうの意見を述べて立場を明らかにしておきたいと思うのであるが、実のところ、私にとつて、近ごろこの問題ほどわかりにくい問題はない。考えれば考えるほどわからなくなる。そこで、わからないというのはどうわからないのか、それを述べて意見のかわりにしたいと思う。

 さて、多くの人が、今度の戦争でだまされていたという。みながみな口を揃えてだまされていたという。私の知つている範囲ではおれがだましたのだといつた人間はまだ一人もいない。ここらあたりから、もうぼつぼつわからなくなつてくる。多くの人はだましたものとだまされたものとの区別は、はつきりしていると思つているようであるが、それが実は錯覚しいである。たとえば、民間のものは軍や官にだまされたと思つているが、軍や官の中へはいればみな上のほうをさして、上からだまされたというだろう。上のほうへ行けば、さらにもつと上のほうからだまされたというにきまつている。すると、最後にはたつた一人か二人の人間が残る勘定になるが、いくら何でも、わずか一人や二人の智慧で一億の人間がだませるわけのものではない。

 すなわち、だましていた人間の数は、一般に考えられているよりもはるかに多かつたにちがいないのであるしかもそれは、「だまし」の専門家と「だまされ」の専門家とに劃然と分れていたわけではなく、いま、一人の人間がだれかにだまされると、次の瞬間には、もうその男が別のだれかをつかまえてだますというようなことを際限なくくりかえしていたので、つまり日本人全体が夢中になつて互にだましたりだまされたりしていたのだろうと思う。

 このことは、戦争中の末端行政の現われ方や、新聞報道の愚劣さや、ラジオのばかばかしさや、さては、町会、隣組、警防団、婦人会といつたような民間の組織いかに熱心にかつ自発的にだます側に協力していたかを思い出してみれば直ぐにわかることである

 たとえば、最も手近な服装の問題にしても、ゲートルを巻かなければ門から一歩も出られないようなこつけいなことにしてしまつたのは、政府でも官庁でもなく、むしろ国民自身だつたのである。私のような病人は、ついに一度もあの醜い戦闘帽というものを持たずにすんだがたまに外出するとき普通のあり合わせの帽子をかぶつて出ると、たちまち国賊を見つけたような憎悪の眼を光らせたのは、だれでもない、親愛なる同胞諸君であつたことを私は忘れられない。もともと、服装は、実用的要求に幾分かの美的要求が結合したものであつて、思想的表現はないのであるしかるに我が同胞諸君は、服装をもつて唯一の思想的表現なりと勘違いしたか、そうでなかつたら思想をカムフラージュする最も簡易な隠れ蓑としてそれを愛用したのであろう。そしてたまたま服装をその本来に扱つている人間を見ると、彼らは眉を逆立てて憤慨するか、ないしは、眉を逆立てる演技をして見せることによつて、自分の立場の保鞏(ほきよう)につとめていたのであろう。

 少なくとも戦争の期間をつうじて、だれが一番直接に、そして連続的に我々を圧迫しつづけたか、苦しめつづけたかということを考えるとき、だれの記憶にも直ぐ蘇つてくるのは、直ぐ近所の小商人の顔であり、隣組長や町会長の顔であり、あるいは郊外の百姓の顔であり、あるいは区役所郵便局交通機関や配給機関などの小役人や雇員や労働者であり、あるいは学校先生であり、といつたように、我々が日常的な生活を営むうえにおいていやでも接触しなければならない、あらゆる身近な人々であつたということはいたい何を意味するのであろうか。

 いうまでもなく、これは無計画な癲狂戦争必然結果として、国民同士が相互に苦しめ合うことなしには生きて行けない状態に追い込まれてしまつたためにほかならぬのである。そして、もしも諸君がこの見解の正しさを承認するならば、同じ戦争の間、ほとんど全部の国民が相互にだまし合わなければ生きて行けなかつた事実をも、等しく承認されるにちがいないと思う。

 しかし、それにもかかわらず、諸君は、依然として自分だけは人をだまさなかつたと信じているのではないかと思う。

 そこで私は、試みに諸君にきいてみたい。「諸君は戦争中、ただの一度も自分の子にうそをつかなかつたか」と。たとえ、はつきりうそ意識しないまでも、戦争中、一度もまちがつたことを我子に教えなかつたといいきれる親がはたしているだろうか。

 いたいけな子供たちは何もいいはしないが、もしも彼らが批判の眼を持つていたとしたら、彼らから見た世の大人たちは、一人のこらず戦争責任者に見えるにちがいないのである

 もしも我々が、真に良心的に、かつ厳粛に考えるならば、戦争責任とは、そういうものであろうと思う。

 しかし、このような考え方は戦争中にだました人間の範囲を思考の中で実際の必要以上に拡張しすぎているのではないかという疑いが起る。

 ここで私はその疑いを解くかわりに、だました人間の範囲を最小限にみつもつたらどういう結果になるかを考えてみたい

 もちろんその場合は、ごく少数の人間のために、非常に多数の人間がだまされていたことになるわけであるが、はたしてそれによつてだまされたものの責任が解消するであろうか。

 だまされたということは、不正者による被害を意味するが、しかしだまされたものは正しいとは、古来いかなる辞書にも決して書いてはないのである。だまされたとさえいえば、一切の責任から解放され、無条件で正義派になれるように勘ちがいしている人は、もう一度よく顔を洗い直さなければならぬ。

 しかも、だまされたもの必ずしも正しくないことを指摘するだけにとどまらず、私はさらに進んで、「だまされるということ自体がすでに一つのである」ことを主張したいのである

だまされるということはもちろん知識の不足からもくるが、半分は信念すなわち意志の薄弱からもくるのである。我々は昔から「不明を謝す」という一つの表現を持つている。これは明らかに知能の不足を罪と認める思想にほかならぬ。つまり、だまされるということもまた一つの罪であり、昔から決していばつていいこととは、されていないのである

 もちろん、純理念としては知の問題は知の問題として終始すべきであつて、そこに善悪観念の交叉する余地はないはずであるしかし、有機的生活体としての人間の行動を純理的に分析することはまず不可能といつてよい。すなわち知の問題も人間の行動と結びついた瞬間に意志や感情コンプレックスした複雑なものと変化する。これが「不明」という知的現象に善悪の批判が介在し得るゆえんである

 また、もう一つの別の見方から考えると、いくらだますものがいてもだれ一人だまされるものがなかつたらとしたら今度のような戦争は成り立たなかつたにちがいないのである

 つまりだますものだけでは戦争は起らない。だますものとだまされるものとがそろわなければ戦争は起らないということになると、戦争責任もまた(たとえ軽重の差はあるにしても)当然両方にあるものと考えるほかはないのである

 そしてだまされたものの罪は、ただ単にだまされたという事実そのものの中にあるのではなく、あんなにも雑作なくだまされるほど批判力を失い、思考力を失い、信念を失い、家畜的な盲従に自己の一切をゆだねるようになつてしまつた国民全体の文化無気力、無自覚、無反省無責任などが悪の本体なのである

 このことは、過去日本が、外国の力なしには封建制度鎖国制度も独力で打破することができなかつた事実、個人の基本的人権さえも自力でつかみ得なかつた事実とまつたくそ本質を等しくするものである

 そして、このことはまた、同時にあのような専横と圧制を支配者にゆるした国民奴隷根性とも密接につながるものである

 それは少なくとも個人の尊厳冒涜(ぼうとく)、すなわち自我の放棄であり人間性への裏切りである。また、悪を憤る精神の欠如であり、道徳的無感覚である。ひいては国民大衆、すなわち被支配階級全体に対する不忠である

 我々は、はからずも、いま政治的には一応解放された。しかしいままで、奴隷状態を存続せしめた責任を軍や警察官僚にのみ負担させて、彼らの跳梁を許した自分たちの罪を真剣反省しなかつたならば、日本国民というものは永久に救われるときはないであろう。

「だまされていた」という一語の持つ便利な効果におぼれて、一切の責任から解放された気でいる多くの人人の安易きわまる態度を見るとき、私は日本国民の将来に対して暗澹たる不安を感ぜざるを得ない。

「だまされていた」といつて平気でいられる国民なら、おそらく今後も何度でもだまされるだろう。いや、現在でもすでに別のうそによつてだまされ始めているにちがいないのである

 一度だまされたら、二度とだまされまいとする真剣自己反省努力がなければ人間進歩するわけはない。この意味から戦犯者の追求ということもむろん重要ではあるが、それ以上に現在日本に必要なことは、まず国民全体がだまされたということの意味を本当に理解し、だまされるような脆弱(ぜいじやく)な自分というものを解剖し、分析し、徹底的に自己を改造する努力を始めることである

 こうして私のような性質のものは、まず自己反省の方面に思考を奪われることが急であつて、だました側の責任を追求する仕事には必ずしも同様の興味が持てないのである

 こんなことをいえば、それは興味の問題ではないといつてしかられるかもしれない。たしかにそれは興味の問題ではなく、もつとさし迫つた、いやおうなしの政治問題にちがいない。

 しかし、それが政治問題であるということは、それ自体がすでにある限界を示すことである

 すなわち、政治問題であるかぎりにおいて、この戦争責任の問題も、便宜的な一定の規準を定め、その線を境として一応形式的な区別をして行くより方法があるまい。つまり、問題の性質上、その内容的かつ徹底的なる解決は、あらかじめ最初から断念され、放棄されているのであつて、残されているのは一種の便宜主義による解決だけだと思う。便宜主義による解決の最も典型的な行き方は、人間による判断を一切省略して、その人の地位や職能によつて判断する方法である現在までに発表された数多くの公職追放者のほとんど全部はこの方法によつて決定された。もちろん、そのよいわるいは問題ではない。ばかりでなく、あるいはこれが唯一の実際的方法かもしれない。

 しかし、それなら映画場合もこれと同様に取り扱つたらいいではないかしかもこの場合は、いじめたものといじめられたものの区別は実にはつきりとしているのである

 いうまでもなく、いじめたものは監督官庁であり、いじめられたものは業者である。これ以上に明白なるいかなる規準も存在しないと私は考える。

 しかるに、一部の人の主張するがごとく、業者の間からも、むりに戦争責任者を創作してお目にかけなければならぬとなると、その規準の置き方、そして、いつたいだれが裁くかの問題、いずれもとうてい私にはわからないことばかりである

 たとえば、自分場合を例にとると、私は戦争に関係のある作品を一本も書いていない。けれどもそれは必ずしも私が確固たる反戦の信念をもちつづけたためではなく、たまたま病身のため、そのような題材をつかむ機会に恵まれなかつたり、その他諸種の偶然的なまわり合せの結果にすぎない。

 もちろん、私は本質的には熱心なる平和主義であるしかし、そんなことがいまさら何の弁明になろう。

 戦争が始まつてからのちの私は、ただ自国の勝つこと以外は何も望まなかつた。そのためには何事でもしたいと思つた。国が敗れることは同時に自分自分家族も死に絶えることだとかたく思いこんでいた。親友たちも、親戚も、隣人も、そして多くの貧しい同胞たちもすべて一緒に死ぬることだと信じていた。このばか正直をわらう人はわらうがいい。

 このような私が、ただ偶然のなりゆきから一本の戦争映画も作らなかつたというだけの理由で、どうして人を裁く側にまわる権利があろう。

 では、結局、だれがこの仕事をやればいいのか。それも私にはわからない。ただ一ついえることは、自分こそ、それに適当した人間だと思う人が出て行つてやるより仕方があるまいということだけである

 では、このような考え方をしている私が、なぜ戦犯者を追放する運動に名まえを連ねているのか。

 私はそれを説明するために、まず順序として、私と自由映画人集団との関係を明らかにする必要を感じる。

 昨年の十二月二十八日に私は一通の手紙を受け取つた。それは自由映画人集団発企人の某氏から同連盟への加盟を勧誘するため、送られたものであるが、その文面に現われたかぎりでは、同連盟の目的は「文化運動」という漠然たる言葉で説明されていた以外、具体的な記述ほとんど何一つなされていなかつた。

 そこで私はこれに対してほぼ次のような意味の返事を出したである

現在自分の心境としては、単なる文化運動というものにはあまり興味が持てない。また来信の範囲では文化運動の内容が具体的にわからないので、それがわかるまでは積極的に賛成の意を表することができない。しかし、便宜上、小生の名まえを使うことが何かの役に立てば、それは使つてもいいが、ただしこの場合は小生の参加は形式的のものにすぎない。」

 つまり、小生と集団との関係というのは、以上の手紙の、応酬にすぎないのであるが、右の文面において一見だれの目にも明らかなことは、小生が集団に対して、自分の名まえの使用を承認していることである。つまり、そのかぎりにおいては集団はいささかもまちがつたことをやつていないのである。もしも、どちらかに落度があつたとすれば、それは私のほうにあつたというほかはあるまい。

 しからば私のほうには全然いい分を申し述べる余地がないかというと、必ずしもそうとのみはいえないのである。なぜならば、私が名まえの使用を容認したことは、某氏手紙示唆によつて集団が単なる文化事業団体にすぎないという予備知識を前提としているかである。この団体の仕事が、現在知られているような、尖鋭な、政治的実際運動であることが、最初から明らかにされていたら、いくらのんきな私でも、あんなに放漫に名まえの使用を許しはしなかつたと思うのである

 なお、私としていまつの不満は、このような実際運動の賛否について、事前に何らの諒解を求められなかつたということである

 しかし、これも今となつては騒ぐほうがやぼであるかもしれない。最初ボタンをかけちがえたら最後ボタンまで狂うのはやむを得ないことだからである

 要するに、このことは私にとつて一つの有益な教訓であつた。元来私は一個の芸術家としてはいかなる団体にも所属しないことを理想としているものである。(生活を維持するための所属や、生活権擁護のための組合は別である)。

 それが自分の意志の弱さから、つい、うつかり禁制を破つてはいつも後悔する破目に陥つている。今度のこともそのくり返しの一つにすぎないわけであるが、しかし、おかげで私はこれをくり返しの最後したいという決意を、やつと持つことができたのである

 最近、私は次のような手紙を連盟の某氏にあてて差ししたことを付記しておく。

「前略、小生は先般自由映画人集団加入の御勧誘を受けた際、形式的には小生の名前を御利用になることを承諾いたしましたしかし、それは、御勧誘の書面に自由映画人連盟の目的が単なる文化運動とのみしるされてあつたからであつて、昨今うけたまわるような尖鋭な実際運動であることがわかつていたら、また別答のしかたがあつたと思います。

 ことに戦犯人の指摘、追放というような具体的な問題になりますと、たとえ団体の立場がいかにあろうとも、個人々々の思考と判断の余地は、別に認められなければなるまいと思います。

 そして小生は自分独自の心境と見解を持つものであり、他からこれをおかされることをきらうものでありますしたがつて、このような問題についてあらかじめ小生の意志を確かめことなく名まえを御使用になつたことを大変遺憾に存ずるのであります

 しかし、集団の仕事がこの種のものとすれば、このような問題は今後においても続出するでありましようし、その都度、いちいち正確に連絡をとつて意志を疏通するということはとうてい望み得ないことが明らかですから、この際、あらためて集団から小生の名前を除いてくださることをお願いいたしたいのです

 なにぶんにも小生は、ほとんど日夜静臥中の病人であり、第一線的な運動名前を連ねること自体がすでにこつけいなことなです。また、療養の目的からも遠いことなです

 では、除名の件はたしかにお願い申しました。草々頓首」(四月二十八日)


(『映画春秋昭和二十一年八月号)

2011-04-04

http://anond.hatelabo.jp/20110404112532

から、無視してないよね、出来ないわけだけど。

なんでだろー?




ちったあ自分の頭で考えてみろっていってるでしょ。

お前の肩に乗ってるのは帽子の台か。

2011-03-19

もしドラ作者の新作「エースの系譜」買ってきたよー

もしドラの時同様立ち読みで済ませようと思ったけど

異常に読みにくいのでやむを得ず購入して自宅で読むことに。



作品の舞台高校野球プロ選手を目指していた教師が監督として乗り込んでくる話。それなんてルーキーズ

とここまではいいのだが、頑張って最初の30ページまで読んだところだけど、とにかく疲れる。




・登場人物の間のやりとりが全くないため単調な印象

 単調なイメージで住めばいいのだけれど、もしドラの時と同じように

 主人公である監督が何か働きかけると、特に抵抗もなく物事が進んでいく様子が

 地の文淡々と語られるのでちょっとしたホラー風味。




・文章の流れを遮る唐突引用がすごい多く、非常にテンポが悪い。

 地の文でうんちくを聞かされていたと思ったら実は監督言葉だったとか、監督言葉だと思ったら実は地の文だったとか。いろいろと切り替えがおかしい。




・なにか変化があるたびにいちいち

 「そうしてこの習慣は、迷径学園野球部同好会が部と昇格した以降も、変わらずに受け継がれる伝統の一つとなった。」

 って表現が入るのがうざい。




と私がいっても伝わらないと思うから実物を見てもらおう。

P12~P13

二週間の合宿期間中、続(監督名前)は、夜のミーティング時間を利用してくり返し整備の大切さを生徒たちに説いて聞かせた。すなわち、用具を大切に出来ないものは、野球に限らず、その道での上達を望めない。用具の中でも、まず大切なのがグラウンドだ。練習をするうえで、すべての土台となるグラウンドが荒れたままでは、技術進歩はないし、何より野球をしていて楽しくない。グラウンドを粗末にすると痛い目に遭うとか、罰が当たるとか、そういうオカルト的なことを言うつもりはないが、荒れたまま練習をしたのでは、全くの時間無駄となってしまうのだと、続は説いた。

ここで続は、平成元年プロ野球ペナントレースにおける、あるエピソードを持ち出した。その年のパ・リーグは、近鉄西武オリックスが、終盤まで激しい優勝争いを繰り広げていた。その最後の決着をつける西武近鉄ダブルヘッダーで、近鉄は、ブライアント奇跡的な連続ホームランで連勝を遂げ、優勝をほぼ手中に収めた。このダブルヘッダーの第二試合近鉄に負け、優勝の望みをほぼ絶たれた西武ナインは、大きな落胆と共に、自らのホームグラウンドである西武球場を引き揚げていった。その際、当時西武の主砲であった清原和博は、帽子を取ると、グラウンドに深々と一例をしてからベンチを後にした。目の前で優勝を持ち去られるという大きなショックを受けていたにもかかわらず、例を忘れなかった清原のこの行いは、テレビ中継でも放映されたから、ちょっとした話題となった。その年のオフテレビ番組プロ野球ニュース」の企画で、落合博満清原と対談した。その席で落合は、「どうしてあの場面、グラウンドに礼をしたの?」と、清原に尋ねた。落合の目には、清原行為は奇異に映り、それを一種のスタンドプレーか、あるいは何らかの意図を持った行動と勘ぐったのだ。しか清原は、そんな落合邪推とは裏腹に、こともなげな顔をして「いえ、あれはいつもやってることなんで、あの日もそうしたまでです」と答えた。つまり清原にとって、グラウンド感謝の礼をすることは、単なる日常的な行為であった。いつも行っている、当たり前の習慣だったのだ。そうして清原は、かつてないほど大きなショックを受けたこの時も、そのことを忘れなかった。それほど、肝の据わった男であった。

 「つまりおれの言いたいのはそういう事だ」と、続は言った。このエピソードから、何を感じるかは皆次第だが、俺は何かを感じた。端的に言えば、そんな清原を格好良いと思った。だから、おれはそんな姿勢を見習いたいし、皆にも勧める。続は、生徒たちにそんなことを話して聞かせた。するとこの話は、生徒たちにそれなりの影響を与えた。次の日から彼らは、グラウンド入出時の礼を欠かさないようになった。そうしてこの習慣は、迷径学園野球部同好会が部と昇格した以降も、変わらずに受け継がれる伝統の一つとなった。

言っておくが、特別悪い場所引用したわけではない。

ずっとこんな調子

監督が問題発見監督説教監督の主張を補強するやたら長い引用→作者による引用の解説→問題がすぐに解決」の繰り返し。

エースを描くはずが、監督しか描いてねー。しかもこの監督の視点がどうみても部外者のスポーツライター

うざい文章で有名な初期の禁書目録でさえ、説教が始まったら自分言葉で語るというのに・・・




これ小説じゃなくてコラムだろ、といいたいが著者曰くれっきとした小説だそうだ。

引用元のコンテンツが主体のもしドラ別に良かったんだけれど、文章が主体の小説で同じことをやるとは思わなかった。

この人はこの作品で、何を描きたいのだろうか。

引用部分に込められた熱量や主張と比べると、選手たちのトレーニング光景も、成長も、苦悩も、試合も、すべてが軽く扱われているように見える。

私はこの引用部分を語るために形ばかりにストーリが添えられているようにしか今のところ感じられない。恐ろしくバランスが悪い。




と、文章にはかなりネガティブな印象があるが、内容は良くもないが悪くもないと思う。まだ判断下すには早いかもしれないが。

目次を見るに、ちばあきおの名作「キャプテン」下地にして、そこに監督を放りこんで、監督主導でストーリーを再構成するつもりなのでは、と思う。

目新しさこそないものの、そこそこ無難な作品のオーラはある。

しかし、それをどうしてハックルブログの文体そのままの文章を編集なしで本にしようとおもったのだろうか。

別に天呉くんレベルとは言わずとも、もう少しましなライターさんが文章を担当して、岩崎さんは原案で良かったんじゃないのか?




コミカライズの予定らしいが、その際には上のような引用はバッサリ刈り取られるのだろうか。ぜひそうしてほしい。

それとも「球場ラバーズ」のように引用部分の選手たちのエピソードを削ることなく、それでいてキャラを活す、そんな演出が出来るだろうか。

担当する漫画家さん、大変でしょうけど頑張ってください。私も今から頑張って続き読みます

関東圏内で日々をすごすためにあると役立つ放射能についての情報

その日の放射能線量をチェックするサイト





どれくらい放射線を受けると危険なの?



どのくらいまでなら大丈夫

補足・・・【1 Sv = 1000 mSv (ミリシーベルト) = 1,000,000 μSv (マイクロシーベルト)】

グレイ物理量単位放射線の種類によって身体への影響が変わるので、そこを計算に入れて表すのがシーベルト

とりあえずは【Gy=Sv】として扱ってかまわない





どのくらい距離があればいい?

  1. 原発事故比較的悪い場合でも、避難エリアは30キロ
    チェルノブイリ事故でも、人間が住めなくなるような危険レベルに達したのは30キロ

  2. 内部被曝を懸念するなら、30キロは妥当ではない。
    放射性微粒子は風に乗り、300キロ~500キロ飛散する。距離より風向きが問題。



この生活が長く続くと危険

テレビで言う「ただちに影響はない」、裏をかえせば長期的には影響があるということ?

そのため、放射能の強い地域では「屋外退避」して、長時間さらされないようにするのです

作業員も15分おきに交代してするなどして放射線を浴びる量を減らして作業をします。

一般人の年間被曝限度は1.0mSv、法的に定められた遺伝や発がん性の増加など長期的な影響が出ないと考えられる安全域の数値です

医療で受けたり温泉地に行くなど、日常レベルより高い放射線を受ける場合は年間2.4mSv。(自衛隊の緊急事態任務の上限は100mSv)。

一般民間人として、この量を一時間あたりにすると0.11μSv~0.28μSv、なので、0.1~0.2μSvを一日あたりのの安全圏内と考えてみるのはどうでしょう

それより高い数値に毎日さらされるようになったら、「なるべく外に出ない」「外気に触れないようにする」「週末は旅に出る」など気をつけてもいいかもしれません。

ちなみに今回の場合、冷却が安定しても、安全になるには数ヶ月~年単位時間が必要だそうです

数日で収束するわけではないこと、何十年もさらされるわけではないこと、あわせて理解したほうがよさそうです




それでも心配!

放射線拡散して薄まるのですが、放射性微粒子はそうはいかないようです。これが身体入るなどすると内部被曝となり、影響が大きいとか。

どんなに安全と言われても安心できない!とくに内部被曝は心配!という場合は、日常生活でできる工夫で身を守りましょう。

  • 外気になるべく触れない。長袖・帽子などをする。
  • マスクをする。(粉塵マスクが良い・水で濡らすと効果大)
  • 傷口には絆創膏をする、ゴーグルなどで眼を守る。
  • 雨雪に直接当たらない。
  • から戻ったら水で身体の放射能物質を洗い流す。
  • 服は帰ったら脱いでポリ袋に入れる。※入れっぱなしにして翌日出かけるときにまた着ればいいんだそうです

↓退去区域、またはその周辺の方むけの情報のようなのですが、不安な方は目を通して、可能なかぎり実行するとよいと思われます




まとめ

会社の人が休みしたり、3連休は都内から出ると言ったり、実はけっこう関西方面に逃げてる人が多いらしいと実しやかにささやかれたりする一週間でした

そんなこと言っても、放射能いか会社休みます(辞めます)って言えないです。

国が「関東圏内も室内退避」と言ってくれれば休みますけど、たぶんそれはないでしょう。チェルノブイリだって避難区域は30キロだったのだから

それにそんなことになれば、我先に首都圏脱出!と混乱が起きて交通網完全マヒして、結局、脱出ならず・・・となるのがオチに決まってます

田舎の両親に相当心配されましたが、3連休東京にいることにしました。でも人一倍心配症なので、いろいろ調べてみました

別段、目新しいものはないと思いますが、半分自分です

不安を煽る人や記事も多い中、都内に限らず、今いる土地で生活していくしかない人もいるでしょう(むしろほとんど)。

幸いに、主要都市放射能レベルは公開されています。毎日見てますが、だいたい平常レベルです

いま大切なことって、ほんのちょっと冷静になることなんじゃないかな、とガラガラコンビニ棚を見るたびに思います。



【おまけ】

輪番停電チェックに便利なサイト

【参考にしたサイト

【補足】

Gy:物理量単位
Sv:防護量の単位(Gyに放射線の種類を補足し被曝の影響を考慮
Sv放射線の種類による生物効果の定数×Gy
放射線の種類と生物効果の定数・・・X線ガンマ線などの光子ベータ線ミューオンなどの電子=1/中性子線=5~20

2011-03-16

危機ですね…

私は何より原発が怖いです。


便利さや経済発展を優先させ、原発を多数作り続けて来たわけですが、

これを教訓に原発を止めるべきと思います!

地球にとって有害危険なもの。

唯一、時間をかけても大地に戻らないもの

それは生み出してはならなかったものだと思うのです


今まで何度も、危険な事件があったのに、それでも原発の問題を軽視して、作り続けてきた。

「仕方ない」

「他に方法がない」

と言うのは簡単。

原発だけは、避けて、何か方法を作ることが、できたはず。

こういう大きな事件があって、沢山の人が怖い思いをして、多大な被害が出ないと、原発の恐ろしさが皆わからいから、



原発ダメだよ!!」

というメッセージを天が発しているのかもしれません。


地球にとって、原発は毒。

これを機に、地球未来をちゃんと考えて行こうよ…

と思います。


そんな私は、西へ逃げたいいでいっぱいです。


でも、自分1人逃げたところで仕方がないしマスクを付けたり帽子をかぶったり、なるべく外出を控えたりして凌ごうと思います。

皆さんも気をつけて下さい。

2011-03-09

エロマンガゾーニングに関する思考実験

 まぁ、例の条例とは直接的には関係はないが、関連して、

18禁のいわゆるエロマンガに関して、まぁ、法律規制するのは基本どうかと思うのだが

ゾーニング不快に思う人に可能な限り手の届かない状況にするために自主的な活動はした方がいい気がする。

18禁マンガに内容に関する表示を行うためのガイドラインを自主的に作るとか。



 提案としては、一般的な18禁マンガ愛好家でも、「これはちょっとアブノーマルだよね」と思えるものに関して

注意を喚起する表記をつける。たとえば、

「通常の性行為を超える外傷に関わる表現が含まれています」

「大便に関する直接的な表現があります

「設定上12歳以下、もしくは小学生以下を連想させる学校指定の服装や帽子、鞄・ランドセル類の

表現を伴う未成熟な身体の人物の性表現が含まれていま

(この項目に関しては特に議論があるところだと思うが、大体合意が得られそうなラインとして今回は設定している)」

あたりに対して、それぞれが含まれていることをすぐにわかるように18禁マークの近くに

それとわかるピクトグラムを追加する。が、別に販売に対しては今までの18禁マンガと同様に扱って良いとする。

言っててナンだが、3つ目の奴は直接的すぎて同様に扱ってくれるのか不安なところもあるが…。



 これにより、一般の18禁マンガ愛好家やあまりトラブルを抱えたくない書店は注意して本を選ぶことが

(逆にそういうのが好きな人はそれだけをチョイスできる)できる。とか言う枠組みはどうか。



 何かあった時にこの枠組みを調節して対応できれば大きな問題にしなくて済むのではないか

議論してみて障壁が解決できるレベルのものならやってみる価値はあるのでは?と考えている。

まぁ、業界人じゃない素人考えなので、思考実験レベルですが、どうかなー。とか、朝の賢者タイムに考えていた。

どらえも~~~ん

 はぁ。今日もまた奴が帰ってきた。今日は一体どんな要求をしてくるのやら。

  

 「し、し、し、しずかちゃんがもう初体験を済ましただって!」

 「!?」

 「ガールズトークを立ち聞きしてたらそう言ってたんだ!どどどどうしよう!しずかちゃんは僕のお嫁さんになるはずなのに~~~」

 

 ――今回はわりと重い話だ。中学に入ってからというもの、彼はもっぱら自身の変態性欲を満たすことに夢中になっていた。石ころ帽子ガリバートンネル秘密道具にかかれば覗きオナニーなんてわけもない。またてっきりそんな話かと……。

 

 「あのクソビッチが!清純そうに見えて僕を裏切りやがった!あの女は糞だ!復讐してやる!ファック!くそsdbjkzbczxkzんんsdふぁz!むしろあんビッチこちらから願い下げだよ!」

 「落ち着きなよ。君の今の姿を見てごらん。性欲にまみれ変態オナニーに明け暮れる君なんかを好きになってくれる女の子がいると思うのかい。君はしずちゃんの性を悪く言うけれど、しずちゃん毎日毎日脳内で穢していたのは君じゃないか裏切りっていうけど、君はしずちゃん以外の女の子アイドルオナニーしていたじゃないか。もし誰かがセックスさせてくれるならば喜んで襲いかかったろうに。君の貞操が守られているのは君がもてないからでしょ。もしセックス可能ならば誰よりも淫乱なのは君じゃないかしずちゃんは君と違って今もまじめないい子だよ。彼女は真面目な恋愛の果てに肉体関係を結んだんだ。彼女処女であってもなくても、君が好きならいいじゃないか。そんなことでしずちゃんを悪く言うなんて、その程度の思いでしかなかったってことだろ」

- 転職ならen
- 派遣ならen
4ページ中1ページ目を表示(合計:100件)