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かまってちゃんだよ、たぶん。
できるのならば、とにかく無視!
もし会ってもそっちの話が出てきたらむりやり話を変える。
見せようとしたら別のほうを見る。
反応見せてたらいつまでも寄ってくるよ。
うーん、死ぬのもいいけど、
定期的に死にたくなるってのは、裏返してみると
そのあとは死にたくなくなるってことでしょ。
今回もちょっと目をつぶってやり過ごしたら、
また死にたくなくなるかもよ。
俺が知ってるのは、死後の世界に天国へ通じる道と地獄へ通じる道があって、チャーチル(正直)とヒトラー(うそつき)とスターリン(ランダム)が居て、2回の質問で天国への道を知るという問題だったよ。
「無知な愚か者は無視しなさい」
ジャイナにはこのような教えがあります。これは教えというより、智恵を含んだ教訓と言ってもいいかもしれません。
このような考えは、無益な争いを避けるために、ときとして必要です。
平和と友好を旨とするジャイナ教徒にとっては、暴力や怒り、憎しみなどの感情を抱かないためにも重要な教えと言えます。
熱い火から身を守るには、火と戦うことでなく、火から遠ざかればよいのです。
ですから、憎しみに満ちた者、過激な者、状況を間違って把握している者、邪悪な者たちから、身を守るには距離を置くことです。
愚か者にも「事の道理」をわからせてやろうと思う人もいるかもしれません。しかし、思慮分別のある人なら、愚か者にそのようなことをするよりは、無視してしまったほうがよい場面があることをおわかりになっていただけるでしょう。
人間というものは、お互いが自分を主張しはじめると、どうしても理性より感情が勝ってしまうものです。
ですから、そのようなときは決して反撃してはいけません。
過激な興奮者には、冷たく背を向けて黙殺すればよいのです。
堕落した考え方の者でも彼なりの言い分があります。
悪人には悪人の主張があるのです。
彼らの犠牲にならないためには、相手にしないことが最良の方法なのです。
カースト制度を否定しながらも、ジャイナ教徒が今日まで2500年以上の長きにわたって、インドで生き残ることができたのは、この「距離を置く」という智恵があったことも大きな理由の一つです。
上林龍永「ジャイナの教え」より
おれはむしろ「めんどうくさい」を正当な理由として復帰させるべきだと思うのだ。
延々とニセの理由付けをすべきではないと思う。
■asahi.com:「合意あり」タクシー客へ強姦問われた運転手無罪 大阪 - 社会
http://www.asahi.com/national/update/0411/OSK200804110049.html
まあそんな、いきなりdisらなくても。
元増田が消えてしまったじゃん。初増田だったかのかも知れないのに。
増田でもはてブコメでも、基本的に書く内容は自由じゃないかな。エチケットはあると思うけど。
元増田に書くけど、難しいエントリー内容で、はてブで自分でまとめてみたくなったら「……ということかな」ぐらい書けば、エントリの作者に失礼だとは私は思わないです。
http://japan.cnet.com/news/media/story/0,2000056023,20370897,00.htm
これ読んで、この人がはてなに来たら面白そうだとか思った。
今年の抱負「めんどうくさがらない」。第一四半期が過ぎたが、自分としては結構守れているように感じている。
具体策は「めんどうくさい」と思ったことほど行うようにすること。基準は人それぞれなのだろうが、自分の閾値が酷いことに気づいた。
引いて見て、仕事や世間の問題の原因はこの「めんどうくさい」に収束するんではないかとすら思えてきた。我ながら宗教じみてきたな。
「めんどうくさい」は面と向かっていえない理由だから他の理由を延延言う人がいかに多いか。費用を理由にする人はだいたいこれに当てはまるのは主観的実測値。
ある種の疎外を受ける辛さは、疎外された者にしか判るまい。
けれどもその辛さを解消する術は、疎外されることを辛いと感じているうちは見出せない。
小〜中学校の間、クラス全員から苛められていた。いや、クラス替えによってこの情報は他のクラスへももたらされたから、実質的には学年全員だ。
物理的にも精神的にも辛い思いをしたけれど、それを認めてしまえば逃げる先は登校拒否か死しかない。私はこれに「周囲を蔑む」という方法で対処した。本当に辛いのはお前たちの方だ、私は何も辛くない……という優越感ゲーム。
精神の崩壊を阻止する方法としては有効だったけれど、代わりに人を遠避けるという弊害も発生した。まあ当時は利点だったわけだけど。
それが人格として固着してしまって、今では重度の非コミュだ。度々周囲から、それを治すよう強いられる。改善策も授けられる。方法論としては理解できるけれど、受け入れることができない。「変わらなきゃ駄目だ」と言われても、変われないことを変えなければ変われなくて、変われないことは変われないのだから変えられない。
周囲は私の辛さを知らないから、どうして変われないのか解らない。解りようがない。だって彼らは「変われない」という状況を経験したことがないんだから。
一方で私は多分、「自分を変えられる」ということを理解できない。恐らくそれは私にだって可能なのだ(原理的には)。でも、こうしてもがいているうちにはそのやり方を受け入れることは不可能。きっと、変わった時になって初めて理解できることなのだろうと思う。
このふたつは永遠にすれ違う。決して交わることはない。たとえ非コミュを脱した経験者から語られたとしても「だってアンタは治ったじゃないか。私のは治らないんだよ、一緒にするな」と拒否してしまうだろうし、多分脱非コミュに成功した側もまた、今度は「どうしてそれができなかったのか」が解らなくなってしまう。
第三者として見るのと当事者として見るのはまったく違うことだ。同じものを見ていても、同じようには見えない。お互いに、相手の見え方を知ることこそが重要で、そして不可能なことなんだ。
「ちっさいオッサン」の仕業だな。
まあ「俺は媚びないよ」って言ってる時点でどこかの誰かに向かって「媚びてない自分」を演出してるわけで。しかも増田が言うように「媚びてないあなたってステキ」って言われたいようなしょっぱい人間がほとんど。
あれ? その「良く思われたくてする演出」って「媚び」じゃなかったっけ?