はてなキーワード: 心神耗弱とは
http://anond.hatelabo.jp/20070325222834
出生前診断は必要だ。生に際してこそ意志の確認を。
未・胎児に「この世に生まれて人生を歩む意思はありますか」と訊くんだ。
うん、そうだね。もし確認ができるなら、してみたい。
ただ、少なくとも私はできないんじゃないかと思う。
あなたがもし「生まれ変わり」とか「身体に縛られない魂に意思が宿る」とか
信じている/知っている人だとすると、たぶん意見が相容れなくなってしまいそうで
残念なんだけど....。
私は、脳の発達があってこそ心が生まれるんだと思うんだ。
いや、脳っていうと限定的かもね。脊髄とか臓器とかも快・不快に関連して
くるはずだから。まあ、いずれにせよ、ある程度身体ができてこそ、と
思ってる。
じゃあ、身体がある程度できた状態の胎児に堕胎してもいいか尋くか?
どうだろう。Noじゃない? まず技術的に。子宮外にいるわれわれと
胎児が意思疎通できるかっていうと、今の科学レベルではそうじゃないよね。
ひょっとしたら、あなたやあなたの周りにいるだれかはそうできるのかも
しれないけれど、世の中の多くの人はできないと思う。私も含めて。
だから、現実問題として、「胎児に生きたいか、生まれたいか確認すること」
は運用不可能だと思う。(合法的に堕胎可能なリミットの問題もある。)
あなたに譲って、仮に意思の確認ができるとして。
もし胎児に確認を求めたとしても、果たして生まれ落ちるはずの世界を
選べるだけの判断力というか、判断のベースが胎児にあるのか、というのも
問題じゃない? まだ生きたこともないし生まれ落ちることもしていない
胎児に、「生まれ落ちる苦しさ」「生きる苦しさ」「死を待つ苦しさ」
「死ぬ苦しさ」がわかるかな? ニュートラルな状態じゃ、意見の持ちようが
ないんじゃない?
これについても、あなたやあなたのまわりの人が「生まれ変わり」とか
「前世の記憶の保持すること」を信じる/知っているのだとすると、
「いや、わかるはずだ、判断できるはずだ」と言えるだろう。でも、
世間の多くの人は「わからない」って言うと思う。例えば、ぴったりって
わけじゃないけど、こんなデータもあるよ。
参考) 図録「神の存在・死後の世界に対する見方(世界55カ国比較)
http://www2.ttcn.ne.jp/~honkawa/9520.html
そんなわけで、「生きるかどうかの意志の確認」は、胎児に対しては
できないと思う。
以下は余談。
ちなみに、ある程度の年齢に達した場合でも、意志確認はできるようになるだ
ろうけど、問題はあるよね。例えば「心神耗弱」な状態にあるときの意志確認。
「うつで無気力」な場合は、死ぬことしか考えられないときだってあるよ。
(個人的に経験してるけどね。)でもそれって、(たとえ家庭とかの事情がある
にせよ、そこまでになるのって、)心的な病気の症状としての希死念慮とも言える。
だから、精神科救急とかいのちの電話がある。一時の気の迷いで死のうとして
しまうのを止めるために。(統合失調症や薬物依存の人の経験なんかも参考に
なるよね。妄想に追いつめられて死にたくなる。そんな場合は意志確認は
意味をなさないんじゃないかな?)
逆に、尊厳死とか脳死とかの場合は、そういう「死ぬたくなってる状態」での
意志確認は行わない。正当な方法での、「ハズレくじ」対処法だよね。
超低体重児出産とか、出産直前まで障害がわからなかったとか、そういう
「親も子どもも『ハズレくじを引いた』と思いながら生きる期間が長く
なりそうな状態」
を避けつつ、
「優生思想に凝り固まってデザイナーベイビー作りしちゃうとかいうような、
ようにする。で、しかも、
「医療・福祉の費用で、赤字国債が600兆円なんていう日本のダメ国家財政
を悪化させない」
とするには、どうしたらいいのかね。
自分的には、
・増税、
・障害者雇用(そして、ちゃんと生活できる給与体系)の確保、
を国がやるしかないと思うんだけど(だいたい、法整備とかしない限り、
民間企業とかが資金援助とか雇用提供とかするはずない=法による強制が
ない限り、どんなに福祉行政やNPOが啓蒙活動したってだめ)、どうなの
かな?
実際にもう障害者、特に知的障害者は隔離されてるんだよな、刑務所に。
今の刑務所なんてそりゃもう酷いもんだよ。刑務所内のもっとも単純な労働ですら出来ないレベルの障害者達がわんさか放り込まれている。山本譲司だっけか、ヅラを国費で買ったのがばれて捕まった人の獄中記に書いてるよ。彼らは仕方なく刑務所に入ってくるんじゃなくて,むしろ進んで入って来るのだよ。何故なら現実社会は刑務所より遥かに差別的で生存権すら保障されないから。一昔前に法律を学んだ身としては、何故に存在自体が心神耗弱或いは心神喪失状態の彼らが有責だとされているのか理解に苦しむのだけれど、彼らには身元引受人が存在しないんで検事は上がってくれば起訴せざるを得ないし、裁判官は証拠のみをみて判断しなければならないので、本人が自白して物的・状況証拠ともに揃っている場合には有罪を言い渡すしかない。勿論ここで帰責性判断が入るのだけれど、心神耗弱であれば減刑したとしても有罪になるし、誰からも見放された精神障害者を心神喪失ではい無罪ですといって放り出すわけにもいかないっていうパターナリスティックな判断にならざるを得ない。
挙句刑期を終了していざ現実世界に復帰したところで一人身の精神障害者に対して宿を提供してくれる場所もなければ生活保護の認定を受けるといった知恵をつけ、実際に足を運んで事務処理をほぼ無償でしてくれる人(例えば後見人とか)もいない(何故なら彼らは元罪人であり、罪人であったという事は精神障害者ではないということだから。)わけで、早晩生活が困窮し、刑務所に入るために犯罪を犯す、しかも最低限の理性は残っているらしく、窃盗や強盗といったわかりやすい犯罪は罪悪感からしないらしいんだよね。勢い単純に考えて誰にも即物的被害が無さそうな非現住建造物放火とかに走ってしまう。なんせ放火は罪が重いから長い間刑務所に入っていられるしね。彼らにとっては刑務所こそが安住の地になってしまっている。それがたとえ定期的に追放されてしまう場所であっても、彼らにはもうそこしかないのだよ。下関の駅放火なんかはこの典型例だわな。
元のエントリ主は17歳だそうだから、この手の現実を理解していない事について非難はしないし、隔離せよという発想自体も今の教育環境やレベルを考えればそう責められるものではないとは思う。しかしながら、そのように自らが望むと望まないとに関わらず関係を持ち、考えるきっかけを持つことが出来たのなら、是非ともそのきっかけを大事にして考え続けていって欲しいなと切に願う。
旧タイトル 「http://anond.hatelabo.jp/20070218013048 に」
(追記 MellowMoon 「"知的障害者"は合法的に犯罪が許されるのだろうか?」は良エントリと思いました。
動画に入っている「服役囚の4分の1が知的障害者」が意味するもの - マル激トーク・オン・ディマンド - ビデオニュース・ドットコム インターネット放送局と、そこで話している山本譲司さんのAmazon.co.jp: 累犯障害者: 本: 山本 譲司もご参照を。MellowMoonさんありがとうございました。)
これはほんとにいろんな問題が絡んでいる。
知的障害者が犯罪を犯してもよい、とは私も思わない。良いわけがない。
彼らが犯罪の意味を知的障害がない人と同じスピードと深さで理解できない、という事実。
さらにそれでも自分の行動に対する責任を自分で取る「権利」を有する、ということ。
これらから逃げていては、解決はありえない。
彼は触ってはいけなかった。なぜなら、触られた人がそれを嫌がっていたから。
(この「なぜなら…」は大いに議論の余地があるけれども、ごく基本的なとこだけ残します)
でも、彼はさわり続けた。
触られた人が嫌がっている、というのを感じることが出来なかったのかもしれない。
触られた人が嫌がることが、彼の中で楽しかったのかも知れない。
問題は、「それはいけないことだ」ということが、彼に継続的に教育されなかったこと、
「言って聞かせたけれど」と先生は言ったというが、
知的障害がある子供は(障害の程度によるが)一回言って聞かせたくらいではわからない。
(この「障害の程度を正確に把握する」という過程も、専門知識の乏しい現場ではごっそり抜け落ちやすい)
ましてや若干の性的興味と衝動を伴う問題行動であれば、わかっていても抑制がきかないことだってある。
彼も女の子達も、両方を守るつもりならば、とにかく彼の行動を修正するしかないのだ。
たとえば。
問題が表面化したら即座に、スタッフを一人増やしてでも、彼の行動をきちんとフォローする。
女の子達にも、触られたらスタッフに訴えるように話しておく(いいにくい子もいるからサインを決めておいてもいい)。
彼が女の子を触る度に、その場で「相手が嫌がっている」事を彼に明確に伝えて、
それはしてはいけない事だ、と同じやり方で伝え(両手を組ませるなど、わかりやすい「怒られてるんだよサイン」を作るなど)、
その場で触った子に「ごめんなさい」をさせる。
一回も余すことなく、やるたびに根気よく、1日に何回でも。
2週間??一ヶ月以内ぐらいの短いスパンでこのアプローチをトライして、効果を判定をする。
ダメなら「物理的対策」として、刺激から遠ざけるという選択も必要になるだろう(クラスを移したり、辞めさせたり)。
こういう大人のサポートがあって初めて、触られた女の子はその場で「触らないで」と明確に伝えることが出来るようになる。
むしろそうしなければ、触られた女の子達には
「理由があれば、触られても我慢しなくてはならないんだ。こんなことは些細なことで、いちいち大きな声で言ってはいけないんだ」
という自己否定観が残ってしまう。
(これが歪めば、DVや痴漢冤罪に……なんていう風に広げることも可能だが、ここでは触れません)
知的障害の人が社会に出ることはいいことだ。
しかし、現状は、これまでのように障害者を囲い込んでおける財源がなくなってきたので、
「障害者を受け入れる良い社会にしよう」という正論の尻馬に乗って
結局問題は、全部現場任せ。
降って沸いた問題に、専門的知識もお金も人手もなく、もちろん世間の後押しもなく、
右往左往した挙句に弱い人にしわ寄せてしまう。
そして、しわ寄せを受けて傷ついた人の心から、小さな花がひとつ消える。
はっきり言おう。
知的障害者は普通の人より社会生活能力に劣ることが多いのだから、
社会生活に適応するには、だれかからのサポートなしにはありえないのだ。
(この「劣る」に向き合わないことが、心神耗弱関連の裁判の問題にも絡んでいると思う)
私には、そういう問題に思えてならないのだ。
で、そういう「弱者救済コスト」をみんなで負担しよう、という空気は、今の日本にはとても乏しいと強く感じる。
(そして今のところ政府はそのコストを取ることから離れる方針)
結果。問題は現場に残され、弱い人、優しい人にコストは押し付けられ、社会から「寛容」が消えていく。
知的障害者をサポートするには、専門的知識と人材という「金」がかかる。
世の中には社会福祉や障害者教育を研究してる人がいっぱいいる。
でもそれらを現場に生かす仕組みは乏しいし、現場には人を増やす余裕なんてない。
専門的知識と人材なしに社会に新しい価値観を生み出すことなんて、絶対にできないだろうと私は思うのだ。
優しさと思いやりだけではどうにもならん。愛だけでは地球は救えないのだ。
(まあ、そういうのを政府に頼らずNPOで、っていう「小さい政府維持」のやり口もあるだろうけど、noblesse oblige精神があんまりなくて(違法とかいう意見もあるし)「ボランティアに金を渡す=それはボランティアではない」ってな風潮では、ちょっとむずかしいだろうね??)
それからもうひとつ。
もし、知的障害の子が女の子で、触られるのが男の子だったらどうだっただろう、という仮定を投げかけてみる。
(この話は、病院で看護師・ヘルパーが患者から受けている継続的暴力の問題と似たような構造を持っていると感じたです)
最後に。
17歳の彼女。しんどかったね。触られたこともそうだけど、ずっと我慢させられたことが、しんどかった。我慢しなくちゃいけない理由なんてなかったんだ。あなたは悪くない。きっとこの本音は、周りの人には言ってないんだろう。増田だから言った。あなたは優しくて、正直な人だ。自分にウソをつく人が多い今の世の中で、あなたはとても正直な人だ。これからも自分にウソはつかなくていい。嫌なことがあったら嫌だって思っていいし、言っていい。
で、もしよかったら、たくさん勉強して、世の中にあふれる難しい問題を、自分の気持ち・直感を大事にしながら、自分の頭で考えて、自分の言葉にできるように、なってください。それが大人になるということの一側面だと、私は思います。
てっきり知的障害=心神耗弱かと思ってた
39条の話かと……
だからまさか帰無仮説だとは夢にも思わなかった
くだらん思い違いに付き合ってくれてアリガトウ