2007-02-20

隔離隔離っていうけどさー

実際にもう障害者、特に知的障害者隔離されてるんだよな、刑務所に。

今の刑務所なんてそりゃもう酷いもんだよ。刑務所内のもっとも単純な労働ですら出来ないレベル障害者達がわんさか放り込まれている。山本譲司だっけか、ヅラを国費で買ったのがばれて捕まった人の獄中記に書いてるよ。彼らは仕方なく刑務所に入ってくるんじゃなくて,むしろ進んで入って来るのだよ。何故なら現実社会刑務所より遥かに差別的で生存権すら保障されないから。一昔前に法律を学んだ身としては、何故に存在自体が心神耗弱或いは心神喪失状態の彼らが有責だとされているのか理解に苦しむのだけれど、彼らには身元引受人が存在しないんで検事は上がってくれば起訴せざるを得ないし、裁判官は証拠のみをみて判断しなければならないので、本人が自白して物的・状況証拠ともに揃っている場合には有罪を言い渡すしかない。勿論ここで帰責性判断が入るのだけれど、心神耗弱であれば減刑したとしても有罪になるし、誰からも見放された精神障害者を心神喪失ではい無罪ですといって放り出すわけにもいかないっていうパターナリスティックな判断にならざるを得ない。

挙句刑期を終了していざ現実世界に復帰したところで一人身の精神障害者に対して宿を提供してくれる場所もなければ生活保護の認定を受けるといった知恵をつけ、実際に足を運んで事務処理をほぼ無償でしてくれる人(例えば後見人とか)もいない(何故なら彼らは元罪人であり、罪人であったという事は精神障害者ではないということだから。)わけで、早晩生活が困窮し、刑務所に入るために犯罪を犯す、しかも最低限の理性は残っているらしく、窃盗や強盗といったわかりやすい犯罪は罪悪感からしないらしいんだよね。勢い単純に考えて誰にも即物的被害が無さそうな非現住建造物放火とかに走ってしまう。なんせ放火は罪が重いから長い間刑務所に入っていられるしね。彼らにとっては刑務所こそが安住の地になってしまっている。それがたとえ定期的に追放されてしまう場所であっても、彼らにはもうそこしかないのだよ。下関の駅放火なんかはこの典型例だわな。

元のエントリ主は17歳だそうだから、この手の現実を理解していない事について非難はしないし、隔離せよという発想自体も今の教育環境レベルを考えればそう責められるものではないとは思う。しかしながら、そのように自らが望むと望まないとに関わらず関係を持ち、考えるきっかけを持つことが出来たのなら、是非ともそのきっかけを大事にして考え続けていって欲しいなと切に願う。

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