はてなキーワード: 少数意見とは
もちろん、少数意見を尊重するのは当然としてさ。
聖火リレーで中国人に占領されちゃった長野では、チベットへの抗議なんて潰されて当然だよね。
中国支持者が圧倒的に多いんだからさ。
警察だって、多勢な勢力には勝てないのは当然。
って事は、いつかは日本も中国に飲み込まれるんかなあ・・・アイヌやインディアンが飲み込まれたのと同じように日本人って消えちゃうのかな。いやだなあ・・・だけど対抗策なんてあるのかな。多数決にはどうやっても勝てないや。
全国でチューリップが折られたり、同時多発的に偽札が使われたり、ハクチョウなんかが殺されまくったりなどといった謎の事件は、「いつでもやれるんだよ」というどっかの国の脅しだと思えて仕方が無い。恐い恐い。
っつーか、そういう方向にしか考えられない俺の頭も恐いw
なんか今更といえば今更なんだけど、古くは宮崎勤、ちょっと前だと『電車男』に端を発したアキバ系もの、今だと児童ポルノ云々の話題になるときに
所謂「オタク」の人って、「自分たち」に対する自分たち以外の「世間」の無理解さ、安易な結論やキャラクタライズに溜息をこぼし続けてきたじゃない。
でも、こういう、世界を『ある特殊な少数派の人』対『ある特殊な少数派ではない人』って角度で切り取った場合、前者はたいがいあまりに無力で、
どんだけ「特殊な少数派」サイドが少数意見に耳を貸せ!って叫んでも世間は「はいはいw」って感じでまあ受け入れられないし、
特殊な少数派サイドじゃない側についた人は、例えその他の属性で特殊な少数派に属していても、その時は思う存分多数派の1人として力を奮える。
極端な話、学校でイジメられている子でもネット上では「羊水が腐るってwwwバカじゃねえのwwwww」つってみんなと一緒に大波に乗ることも出来るし、
逆に一般社会では肩身を狭くしているオタクの人でも、コミケ帰りのゆりかもめでは同士だらけなのに安心して堂々とする事ができたり。
好き勝手に書いてたら話がこんがらがってきた。
いや、要約すると言いたかったのはオタクって散々、自分たちは理解されていない、もっと理解して物を言ってくれって言ってきたのに、それでも
自分たちがケータイ小説とかスイーツとか韓国とか何でもいいけど、自分たちが「少数派ではない側」に入れたときは全然普通に理解する気ゼロでやっちゃうんだなってのと、
それと「世間が想像する(している)ようなステレオタイプなオタク像のオタクって案外、現実には居そうで居ないのと同じで
ネット上でよくネタにされているようなステレオタイプなキャラクターのスイーツ(笑)って、もしかして現実には案外ほとんど存在しないんじゃないか?」
って思った、って事だったんだけど。
Webではまるで大多数の意見に見えていても、その実ごく少数の人間が意見を積み重ねていただけ、ということがある。
ニコニコ動画の自演の例ほどの意図がなかったとしても、毎日の意見の積み重ねや、匿名のやり取りの応酬の中で少数意見が少しずつ積み重なり、いつしか大きな意見の体をとるようになる。まあ、それはきっと、良いことなのだろう。他の世界では力を持てない者の声を、Webでは広くに届けてくれるのだから。
オレは今まで女性と心や身体を通わせたことがない。そもそも心の通わせ方がわからない。心や身体を通わせるための方法がわからない。人を目の前にして、その人と何をすればいいのかわからない。心を通わせる才能も経験も勇気も知識もない。
Webではまるで同じような意見の持ち主があちこちにたくさんいるように思えた。2ちゃんねるにもはてな匿名ダイアリーにもあちこちのブログにも、こんなような書き込みはたくさんあった。よくは知らないけど、きっとmixiにもモバゲーにもこんなようなコミュニティはあるのだろう。
でもきっと、それはきっと小さな声の積み重ねでできたものなんだ。声を発している人間の数は、きっととっても少ないのだ。当たり前だ。世界がこんな人間ばかりなら、街はもっと恐怖で満ちあふれているはずだ。これからも生きて行かなくてはならない恐怖に満ち満ちているはずだ。でも実際には、幸せの笑顔で満ち満ちている。
なあ、同じような境遇の男女よ。オレたちはマイノリティだ。とんでもなくマイノリティだ。これから、どうする?
オレは独りでは生きていたくないけれど、二人になるために必要な何かを、持ち合わせていない。こんなの、存在してちゃ、だめだよな。何言ってるのかよくわからない日記を残す奴なんて、だめだよな。消えちまえばいいのに。
中学生の頃に聞いていたラジオで、DJはリスナーの悩みに答えていたね。ねえDJ、あなたは「こんな俺でも女と付き合う事ができたんだから、大丈夫、いつか付き合うことができるもんなんだよ。そういう風になってるもんなんだよ」って言ってたね。ねえDJ、オレ、31年間生きてきたけど、まだ女と付き合えてないんだ。ねえDJ、今、オレが相談しても、同じ事を言ってくれるのかな。ねえDJ、答えてよDJ…。
http://anond.hatelabo.jp/20070701114338
あ、そーだねー、って頷いてあげること?
少数意見?
「ふーん」っていっときゃええのや。
「死票」という言葉にはある脅迫的偏向が潜んでいる。客観的に見て当選しえない候補に投じる票は本当に「死んだ」票なのだろうか。
たとえばある市のある選挙(1)で次のような選挙結果が出たとする。
J・K党候補 10万票 …当選
M・S党候補 2万票 …落選
K党単独候補 5000票…落選
K党単独候補 2万5000票…落選
更に次の選挙(3)
K党単独候補 3万5000票…落選
さて、明らかにK党単独候補は「惨敗」してるんだけど、この「K党候補」への投票行動に本当に何の意味もないと思うだろうか? ここから市民のメッセージは読み取れないだろうか? そんな安穏とした選挙分析をする馬鹿な候補がいたら見てみたいものだと思う。普通に考えれば、K党以外の各党は、政策の一部見直しは当然迫られることになるだろう。K党候補は惨敗でも、そもそも無風選挙にしてしまうことに比べれば大きな意味があるし、また当該候補への投票行動が与党候補や次の政策に影響を与えるという意味では、この場合立候補することに非常に大きな意味がある。その結果、たとえば次の選挙ではこんなことになるかもしれない。
J・K党候補 7万票 …当選
M・S党候補 5万票 …落選
K党単独候補 5000票…落選
こういうのを「死票」「金の無駄遣い」の一言で片づけることで、知らず知らず「長いモノに巻かれる」ことを是とするメッセージを発してしまうとしたら、その方が危険なことではないだろうか、と、まあ、私はそんな風に考えるわけです。「少数意見を大事にしてこそ民主主義」ってのは、別にキレイゴトのお題目じゃない。