2008-02-05

隣人もエピキュリアン

なんか今更といえば今更なんだけど、古くは宮崎勤、ちょっと前だと『電車男』に端を発したアキバ系もの、今だと児童ポルノ云々の話題になるときに

所謂「オタク」の人って、「自分たち」に対する自分たち以外の「世間」の無理解さ、安易な結論やキャラクタライズに溜息をこぼし続けてきたじゃない。

でも、こういう、世界を『ある特殊な少数派の人』対『ある特殊な少数派ではない人』って角度で切り取った場合、前者はたいがいあまりに無力で、

どんだけ「特殊な少数派」サイドが少数意見に耳を貸せ!って叫んでも世間は「はいはいw」って感じでまあ受け入れられないし、

特殊な少数派サイドじゃない側についた人は、例えその他の属性で特殊な少数派に属していても、その時は思う存分多数派の1人として力を奮える。

極端な話、学校イジメられている子でもネット上では「羊水が腐るってwwwバカじゃねえのwwwww」つってみんなと一緒に大波に乗ることも出来るし、

逆に一般社会では肩身を狭くしているオタクの人でも、コミケ帰りのゆりかもめでは同士だらけなのに安心して堂々とする事ができたり。

好き勝手に書いてたら話がこんがらがってきた。

いや、要約すると言いたかったのはオタクって散々、自分たちは理解されていない、もっと理解して物を言ってくれって言ってきたのに、それでも

自分たちがケータイ小説とかスイーツとか韓国とか何でもいいけど、自分たちが「少数派ではない側」に入れたときは全然普通に理解する気ゼロでやっちゃうんだなってのと、

それと「世間が想像する(している)ようなステレオタイプオタク像のオタクって案外、現実には居そうで居ないのと同じで

ネット上でよくネタにされているようなステレオタイプキャラクタースイーツ(笑)って、もしかして現実には案外ほとんど存在しないんじゃないか?」

って思った、って事だったんだけど。

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