はてなキーワード: 社会福祉とは
価値観が多様である状態で主観的な比較と客観的な比較が完全に一致する可能性はないと言っていいと思う
例えば物質的な面だけで言うと
金が無いのは、不幸だ、だから、社会福祉として働けない人に金を配るべき
ここまでで異論がある人はそんなに居ないと思う
しかし、月に幾ら渡せばその人は幸せになれるのか?
ただ生きていけるだけか?働いている人の最低収入と同じだけか?平均収入と同じだけか?
立場によって、その働けない人に渡すべきと思う金は変わるし、それが多かろうが少なかろうが
その働けない人本人が、自分は貧乏だから不幸だと思うか思わないか
援助してる人が、多額の負担をさせられて不幸だと思うか思わないか
全員が不幸だと思わない金額設定の方法がもし考案されれば人類史に残る出来事だと思う
よって現段階で、みんなが幸せとなる可能性がない
なので、みんなが幸せで有る事が俺の幸せという人が幸せになる可能性が無い
結果みんなの幸せが俺の幸せと思う事そのものが不幸な人を1人作り出しているというだけの事である。
ただし、例外はある、全人類を洗脳して、その結果自分は幸せで有ると全員が思ったとき
洗脳されている状態で幸せだと思う事が幸せで有るとするなら、これはひとつの解決策ではあるのかもね
ちなみに
http://anond.hatelabo.jp/20071013010938
は私が書いた
「お父さんが金持ってたら息子が障害者でも十分に養えるから社会福祉はすべからく親兄弟を頼るべき」だなんて普通結論しないわな。
生活保護を受ける前に「頼れる親兄弟親戚はいないか?」って尋ねられるでしょ。
あと住民票で記載される扶養者・被扶養者ってどういうこと?
親兄弟がなることを前提としている不動産・借金等々の保証人制度は?
介護も介護保険制度が変ってから施設から在宅への流れが進んでいる。
それだけ、日本の福祉や制度は今まで(今でも)イエを前提にして作られた前近代的なもの。
そんな今でも国家に近代へ進もうという意志を読み取れるのか?
それは「家族がセーフティネットとして機能している」現状を表現しなおしただけ。
「格差問題は結局貧困問題ではなく、危機管理の問題であり、余裕資産の有無の問題 」というのと同じ。
「格差問題は結局貧困問題ではなく、性格の問題であり、前向きかどうかの問題 」というのと同じ。
「格差問題は結局貧困問題ではなく、美人かどうかの問題であり、容姿問題 」というのと同じ。
個人の能力を超えた問題に社会が保障するというレイヤーを挿入することで個別生来的な環境格差を減らして流動性を確保するのが近代なんでしょ?
「お父さんが金持ってたら息子が障害者でも十分に養えるから社会福祉はすべからく親兄弟を頼るべき」だなんて普通結論しないわな。
http://anond.hatelabo.jp/20070507193018
まったくその通りだと思う。もちろん金持ちは金を使えと偉そうに言うつもりはないけど、使った方がいいのは事実だ。
http://www.aikido-nipponkan-japan.com/06-34.html
リキシャの狭い座席にマジ君と乗った私は彼に尋ねました「凄いね、彼は運転手付きだよ」「これだって運転手付きさ」私は大声で笑ってしまいました「金持ちは、苦しい人を雇い、その家族さえ養っているわけ、だから彼は人助けしているんですよ」アッサリと言い切るマジ君の言葉に、以前同じ様な話をブラジルやニカラグアでも聞いた事を思い出しました。裕福な者にとってそれは当然の事であり料理人や庭師、洗濯人、運転手など少しでも多くの人を雇う事が「徳を積む事」であるという話です。
少なくともこの社会では、人を雇うことは「社会的に良いこと」とされてるわけだ。そして次のようにう続く。
いろいろな問題も潜在する事でしょうが、失業者や弱者の救済は国の責任と突き放す国々には存在しない、国体自体が腰の弱い開発途上国独自の社会福祉システムと私は理解しました。
これとは逆に、国の社会福祉が充分だからと言って何らかの形での弱者への救済は必要ない、という訳ではないんだよね。金は力だ。それは社会福祉の充実した国でももちろん変わることはない。金は人を救うことができる。
たとえば少なくとも貧乏ではない人は、土地を蝕まないような栽培を行っている有機栽培の考えに賛同した時、その食品を優先的に買うことで農家の人を有機栽培の商売としての厳しさから少しだけ救済することができる。金持ちにもなれば企業したいが金がない人に投資することもできる。高いランチだって同じだし、色んな場面に金の力は影響する。これがわかってない人って、少なくとも小金持ち程度までの間は多いと思う。金は価値を生み出す道具だけど、金そのものが価値のように思えてしまうんだろうね。
ちょっと考えて下さい。いわゆる「男」は優遇されてます。でも、「女の腐ったような男」は優遇されてないんです。敢えて差別語を使わせて頂きましたが、そういうことです。
優遇されるということは、同時に義務を負っていることが多いです。法的なものというよりも道徳的なものですが、「男はかくあるべし」という道徳に縛られています。更に、刑事裁判や社会福祉制度においては、男の方が軽視されています(顔などへの負傷や逆レイプ……)。なので、強くあれば強くある程、男の権利は増大しますが、弱ければ弱い程、男の権利は減少して、義務ばかりが残ります。これに反比例して、現状では女の権利は強ければ強い程損をするように出来ているでしょう。だから女性権利を叫ぶ女は強く、男性権利を叫ぶ男は弱いんです。
強い男の権利ばかりを見ないで、弱い女が(弱い割には)どれだけ優遇されてるかも見て下さい。
旧タイトル 「http://anond.hatelabo.jp/20070218013048 に」
(追記 MellowMoon 「"知的障害者"は合法的に犯罪が許されるのだろうか?」は良エントリと思いました。
動画に入っている「服役囚の4分の1が知的障害者」が意味するもの - マル激トーク・オン・ディマンド - ビデオニュース・ドットコム インターネット放送局と、そこで話している山本譲司さんのAmazon.co.jp: 累犯障害者: 本: 山本 譲司もご参照を。MellowMoonさんありがとうございました。)
これはほんとにいろんな問題が絡んでいる。
知的障害者が犯罪を犯してもよい、とは私も思わない。良いわけがない。
彼らが犯罪の意味を知的障害がない人と同じスピードと深さで理解できない、という事実。
さらにそれでも自分の行動に対する責任を自分で取る「権利」を有する、ということ。
これらから逃げていては、解決はありえない。
彼は触ってはいけなかった。なぜなら、触られた人がそれを嫌がっていたから。
(この「なぜなら…」は大いに議論の余地があるけれども、ごく基本的なとこだけ残します)
でも、彼はさわり続けた。
触られた人が嫌がっている、というのを感じることが出来なかったのかもしれない。
触られた人が嫌がることが、彼の中で楽しかったのかも知れない。
問題は、「それはいけないことだ」ということが、彼に継続的に教育されなかったこと、
「言って聞かせたけれど」と先生は言ったというが、
知的障害がある子供は(障害の程度によるが)一回言って聞かせたくらいではわからない。
(この「障害の程度を正確に把握する」という過程も、専門知識の乏しい現場ではごっそり抜け落ちやすい)
ましてや若干の性的興味と衝動を伴う問題行動であれば、わかっていても抑制がきかないことだってある。
彼も女の子達も、両方を守るつもりならば、とにかく彼の行動を修正するしかないのだ。
たとえば。
問題が表面化したら即座に、スタッフを一人増やしてでも、彼の行動をきちんとフォローする。
女の子達にも、触られたらスタッフに訴えるように話しておく(いいにくい子もいるからサインを決めておいてもいい)。
彼が女の子を触る度に、その場で「相手が嫌がっている」事を彼に明確に伝えて、
それはしてはいけない事だ、と同じやり方で伝え(両手を組ませるなど、わかりやすい「怒られてるんだよサイン」を作るなど)、
その場で触った子に「ごめんなさい」をさせる。
一回も余すことなく、やるたびに根気よく、1日に何回でも。
2週間??一ヶ月以内ぐらいの短いスパンでこのアプローチをトライして、効果を判定をする。
ダメなら「物理的対策」として、刺激から遠ざけるという選択も必要になるだろう(クラスを移したり、辞めさせたり)。
こういう大人のサポートがあって初めて、触られた女の子はその場で「触らないで」と明確に伝えることが出来るようになる。
むしろそうしなければ、触られた女の子達には
「理由があれば、触られても我慢しなくてはならないんだ。こんなことは些細なことで、いちいち大きな声で言ってはいけないんだ」
という自己否定観が残ってしまう。
(これが歪めば、DVや痴漢冤罪に……なんていう風に広げることも可能だが、ここでは触れません)
知的障害の人が社会に出ることはいいことだ。
しかし、現状は、これまでのように障害者を囲い込んでおける財源がなくなってきたので、
「障害者を受け入れる良い社会にしよう」という正論の尻馬に乗って
結局問題は、全部現場任せ。
降って沸いた問題に、専門的知識もお金も人手もなく、もちろん世間の後押しもなく、
右往左往した挙句に弱い人にしわ寄せてしまう。
そして、しわ寄せを受けて傷ついた人の心から、小さな花がひとつ消える。
はっきり言おう。
知的障害者は普通の人より社会生活能力に劣ることが多いのだから、
社会生活に適応するには、だれかからのサポートなしにはありえないのだ。
(この「劣る」に向き合わないことが、心神耗弱関連の裁判の問題にも絡んでいると思う)
私には、そういう問題に思えてならないのだ。
で、そういう「弱者救済コスト」をみんなで負担しよう、という空気は、今の日本にはとても乏しいと強く感じる。
(そして今のところ政府はそのコストを取ることから離れる方針)
結果。問題は現場に残され、弱い人、優しい人にコストは押し付けられ、社会から「寛容」が消えていく。
知的障害者をサポートするには、専門的知識と人材という「金」がかかる。
世の中には社会福祉や障害者教育を研究してる人がいっぱいいる。
でもそれらを現場に生かす仕組みは乏しいし、現場には人を増やす余裕なんてない。
専門的知識と人材なしに社会に新しい価値観を生み出すことなんて、絶対にできないだろうと私は思うのだ。
優しさと思いやりだけではどうにもならん。愛だけでは地球は救えないのだ。
(まあ、そういうのを政府に頼らずNPOで、っていう「小さい政府維持」のやり口もあるだろうけど、noblesse oblige精神があんまりなくて(違法とかいう意見もあるし)「ボランティアに金を渡す=それはボランティアではない」ってな風潮では、ちょっとむずかしいだろうね??)
それからもうひとつ。
もし、知的障害の子が女の子で、触られるのが男の子だったらどうだっただろう、という仮定を投げかけてみる。
(この話は、病院で看護師・ヘルパーが患者から受けている継続的暴力の問題と似たような構造を持っていると感じたです)
最後に。
17歳の彼女。しんどかったね。触られたこともそうだけど、ずっと我慢させられたことが、しんどかった。我慢しなくちゃいけない理由なんてなかったんだ。あなたは悪くない。きっとこの本音は、周りの人には言ってないんだろう。増田だから言った。あなたは優しくて、正直な人だ。自分にウソをつく人が多い今の世の中で、あなたはとても正直な人だ。これからも自分にウソはつかなくていい。嫌なことがあったら嫌だって思っていいし、言っていい。
で、もしよかったら、たくさん勉強して、世の中にあふれる難しい問題を、自分の気持ち・直感を大事にしながら、自分の頭で考えて、自分の言葉にできるように、なってください。それが大人になるということの一側面だと、私は思います。
自殺防止活動を進める福井県坂井市のNPO法人「心に響く文集・編集局」が、地元の観光名所・東尋坊で保護し、自殺をくい止めた人が04年5月の発足以来、100人になった。理事長の茂幸雄さん(62)は「(自殺対策基本法が施行されたが)国や自治体の政策は不十分」と話している。
茂さんは県警三国署(現・坂井西署)の副署長だった03年9月、管内の東尋坊で断がいに立ちすくむ東京都の男性(当時55歳)と女性(同72歳)を保護した。茂さんは2人を励まし、少しの金を渡して帰したが、再出発を誓っていた2人は3日後に新潟県で自殺した。
2人は東京に戻る金がなく、福井県内の役所を訪れていた。自殺の2日後、「役所でたらい回しにされ、『死ぬならどうぞ』とまで言われた。私たちのような人間を二度と出さないでほしい」という遺書が同署に郵便で届いた。それがNPO設立のきっかけだった。
NPOでは茂さんと元教師ら55人が連日、東尋坊周辺を交代で巡回。今月14日午後には、石川県加賀市の男性調理師(60)が断がい近くで一人で海を見ていた。茂さんは「もう死ぬしかない」とつぶやく男性の肩を抱き、事務所に連れて帰った。入院費がかさみ、生活保護も認められず、自殺しに来たという。100人目の保護だった。
保護した人は、男58人、女42人。関東や関西など県外者がほとんどといい、福井県内で住宅や仕事のあっせんもする。茂さんは今年9月、「毎日社会福祉顕彰」を受賞。基本法施行で県の「自殺・ストレス防止対策協議会」の委員にも任命されたが、いまだに具体策を示さない協議会に「行政が対応を誤れば、自殺者は増えるばかり」と話している。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20061216-00000024-maip-soci