はてなキーワード: 無趣味とは
KOKIAの曲じゃないけど、そういう曲が聞こえてきてもいいくらいしんみりしている。
とはいってもそんな大それた話ではなくて、単に人とのつながりってありがたいなあと。
自分のスペックを晒すと、22歳大学生♂、一留+半年休学でこの後期から復学する。
ある意味現代っ子らしいというか、将来に対する見通しとかを何も立てないまま3回生あたりになり、
自分自身への葛藤や人間関係などもろもろのことがきっかけで、ひきこもり+鬱っぽい状態になってしまった。
結果、大学生活やその他数少ない人間関係からの撤退を推し進めてしまった。
最近までそういう状態が続いていたのだが、通院やカウンセリングの成果がでてきて、
なんとか復学、そして進路を考えられる状態になってきた。
そんな自分にも、なぜかまめに連絡をとってくれる人間が3人いる。
中学のころは気が合ってよく遊んでいたが、高校に入って少し疎遠になってしまった。
大学になってからはたまに連絡を取り合っていたが、
自分自身が落ち込んでいるとき、彼もまた精神的に病んでいるらしかった。
そういうこともあってかお互い漠然とした悩みを話したり、またそういうことを抜きにして遊んだりもした。
蛇足だが元来無趣味であった自分に、いわゆるオタ(アキバ系)の知識を吹き込んだのは彼である。
世間的にみてプラスかどうかはわからないが、おかげでそれが日常のハリとなり、他の趣味もできた。
基本的に彼には何事も敵う気がしないのだが、最近では不思議と劣等感を感じることは少なくなってきた。
それはいろいろと悩むうちに、自分なりに自分の価値を構築することができたからではないかと思う。
1人は大学の同じ学科だった友達。
彼とは入学してすぐ知り合った。
しばらくは仲良くしていたのだが、次第に彼の言動や自分に対する態度に疑問をもつようになり、
結局は一方的に自分から接することをやめてしまい、また彼の周辺の人間とも話さなくなった。
自分から人間関係を構築することが苦手だったので、それからは大学で孤立しがちになってしまった。
約一年前に彼から連絡が入り、半信半疑で会ったのだが、以前に彼から受けた嫌な感じはほとんどなくなっていた。
詳しいことはわからないが、おそらく彼自身、それ以後様々な経験を積み、成長していったのだと思う。
大学生活もろともから逃げ出してしまった自分との対比が浮き彫りになり、恥ずかしかった。
それからは意外と話があうようになり(たまに政治や社会問題のことも話したりする)、いい励みになっている。
1人は母親。
父親が高校のときに死んでしまい、以後家族を支えてくれている。
母の性格は一言でいえば天真爛漫であり、いい歳してかわいげのある感じなのだが、
無口な自分とは合わない部分もあり、衝突することも少なくなかった。
ときには死にたいと漏らしてしまったこともあり、過度の心配をかけてしまった。ごめんなさい。
それでも、完全に無気力で不貞腐れてしまった自分に対して、嫌な顔を見せず明るく振舞ってくれた。
中高のころから友達は少ない方だったし、そんなに親しく付き合っていたわけでもなかった。
わたしはカラオケが嫌いだし、ボーリングは嫌いじゃないが下手だ。テレビにもマンガにも詳しくない。面白い話もできなくて、ちょっと突っ込みをいれるくらいだ。
だから、みんなで遊びに行くなんてことはあんまりなかった。せいぜい学校で集まって、休み時間に喋ったり、駅まで一緒に歩いたり。
卒業してからは、わたしが実家に戻った時に会っただけだ。普段はメールのやりとりもない。
それでなんの不満もなかった。そのころは寂しいと思っていなかった。
今にして思えば、わざわざ友達と連絡を取って、遊びに行く…というプロセスが苦手だったのかもしれない。
大学に入ってからも、友達は何となくできた。幸いクラスの仲がとてもよくて、わたしも簡単に空気になじめたのだ。
才能や自信に満ちている彼らは妙に格好よく、話していて引け目を感じるときもあったが、それでも食らいついたほうだろう。
共通の趣味とか、そんなものが全く思いつかないので(わたしは自他共に認める無趣味人間だから)こっちから話すことはほとんどなかったけど、
酒にだけは強いので、それなりにみんなと仲良くなれた。
ただ、それはあくまで授業がある間のことだ。
休み期間に入って、友達ともほとんど交流がなくなってしまった。こっちから送ろうともしないものだから、携帯電話はまったく働かない。
わたしは自堕落に、のんべんだらりと寝て毎日を過ごしている。なんというか、無性に暇なのだ。
今までは、がんばって学校にさえ行けば、誰かと話ができたのに。
大学の夏休みは長い。いくら普段からぐうたらしても、2ヶ月がこんなに長いとは思いもしなかった。
やることが無くなって、ついふらふらキャンパスに行ってしまう。もちろん、誰に会うわけでもない。ただ、たまたま誰かがいたらいいな、とかそんなことを思ってしまう。
生協や図書館の周りで踊っているダンスサークルとか、ラケットを抱えてベンチで話し込んでいる女の子を見ていると、
本当に友達がいると言えるのはあんな人たちなんだろうなと思ったりする。何か口実がないと友達にも近づけないようなわたしは、結局のところ孤独な人間なのかもしれない。
要するにわたしは寂しいのだ。
人付き合いをしないことには慣れていたはずなのに、一人暮らしをして変わってしまったらしい。
ずっと家の中に座っていて、誰とも話をしない。
そんな日々が続いていても、話したくなることは少しは出てくる。
わたしは、パスタを茹ですぎたとか、涼しくなってきたのにまだ蚊がいるとか、そんな下らないことを好きな時に誰かに喋りたいんだろうと思う。
ただ、そのために何をすればいいのかが分からない。
なんで嫌気がさしたのだろう。
金銭的安定を得る代わりにもっと嫌なことを我慢しなければならなくなったとか。
田舎にはプライバシーが無い。どこに行くにも、バス・電車というわけにはいかないから、どうしても自動車での移動になる。そうなると、自動車の姿を見た(自動車はそうそう乗り換えるわけにもいかないし)誰かからの話が、いつの間にか駐在・あるいは地元の店員などの耳に入るなどして、行動パターンが地元の関係者の知るところとなる。こうなっては、プライバシーなどあったもんじゃない。
また、そういった人たちは、定期的に酒盛りなどで『つるむ』事が多い。何かあれば酒をかっ喰らうタイプの人は、無趣味だったりあるいは「知的な事をやりこむ趣味」を持たないことが多いと感じるのは、俺だけじゃないと思う。もちろん、そういう人に例えばmixiだのtwitterだのYoutubeといった『ウェブでの遊び』を紹介しても、「それ、“出会い系”か何かか?」みたいな反応を返されるだけで、ロクに会話も続かない。典型的な『演歌脳』な人たちだ。
そんな人たちに、これから5年・10年・20年・・・と、囲まれて過ごすのは、一度都会の自由な空気を味わった人間には、耐えられない事ではないか!
かくて、田舎の衰退は、ますます加速するばかりである。若い人たちにとって、人間関係が窮屈すぎるのは、それだけで「人をつなぎとめておく」にはマイナスに働くのだから。
そういう事を言いたいわけではなくて、オタクは趣味人間の極北であるから、趣味が無い人よりも輝いているんじゃないかな?
って言いたいのでは。
まぁただ、傾倒している分野によっては蔑視されても致し方ないのでは。
オタク以外は無趣味な人間というあまりにも視野の狭いその認識にあきれる。
そういう視野の狭さとかがあなたがオタクたるゆえんなんだろうね。
それは蔑視されて当然だよ。すごくキモイ。