中高のころから友達は少ない方だったし、そんなに親しく付き合っていたわけでもなかった。
わたしはカラオケが嫌いだし、ボーリングは嫌いじゃないが下手だ。テレビにもマンガにも詳しくない。面白い話もできなくて、ちょっと突っ込みをいれるくらいだ。
だから、みんなで遊びに行くなんてことはあんまりなかった。せいぜい学校で集まって、休み時間に喋ったり、駅まで一緒に歩いたり。
卒業してからは、わたしが実家に戻った時に会っただけだ。普段はメールのやりとりもない。
それでなんの不満もなかった。そのころは寂しいと思っていなかった。
今にして思えば、わざわざ友達と連絡を取って、遊びに行く…というプロセスが苦手だったのかもしれない。
大学に入ってからも、友達は何となくできた。幸いクラスの仲がとてもよくて、わたしも簡単に空気になじめたのだ。
才能や自信に満ちている彼らは妙に格好よく、話していて引け目を感じるときもあったが、それでも食らいついたほうだろう。
共通の趣味とか、そんなものが全く思いつかないので(わたしは自他共に認める無趣味人間だから)こっちから話すことはほとんどなかったけど、
酒にだけは強いので、それなりにみんなと仲良くなれた。
ただ、それはあくまで授業がある間のことだ。
休み期間に入って、友達ともほとんど交流がなくなってしまった。こっちから送ろうともしないものだから、携帯電話はまったく働かない。
わたしは自堕落に、のんべんだらりと寝て毎日を過ごしている。なんというか、無性に暇なのだ。
今までは、がんばって学校にさえ行けば、誰かと話ができたのに。
大学の夏休みは長い。いくら普段からぐうたらしても、2ヶ月がこんなに長いとは思いもしなかった。
やることが無くなって、ついふらふらキャンパスに行ってしまう。もちろん、誰に会うわけでもない。ただ、たまたま誰かがいたらいいな、とかそんなことを思ってしまう。
生協や図書館の周りで踊っているダンスサークルとか、ラケットを抱えてベンチで話し込んでいる女の子を見ていると、
本当に友達がいると言えるのはあんな人たちなんだろうなと思ったりする。何か口実がないと友達にも近づけないようなわたしは、結局のところ孤独な人間なのかもしれない。
要するにわたしは寂しいのだ。
人付き合いをしないことには慣れていたはずなのに、一人暮らしをして変わってしまったらしい。
ずっと家の中に座っていて、誰とも話をしない。
そんな日々が続いていても、話したくなることは少しは出てくる。
わたしは、パスタを茹ですぎたとか、涼しくなってきたのにまだ蚊がいるとか、そんな下らないことを好きな時に誰かに喋りたいんだろうと思う。
ただ、そのために何をすればいいのかが分からない。
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