「古典力学」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 古典力学とは

2008-03-20

http://anond.hatelabo.jp/20080320102341

そこで、系に観測者も含める事で、初めて量子力学のような微小領域の記述が出来るようになった、ってことじゃないのかな?

いやそれは違う。

黒体放射とか原子の安定性とか(詳細は説明しない、ぐぐれ)、古典力学的な理論の帰結と矛盾するような現象が次々と見つかって、個々の現象を説明するためのアドホック理論がその都度できてきたんだけど、それらをつなぎ合わせたところできたのが「量子力学」という理論体系だった。

で、これが数式レベルではともかく、その解釈としては理解に苦しむ部分があって、今までの物理学のように事前の情報から現象を原理的に確定的に予言できるということがなく、確率的にしかものが言えないということがわかってきた。

だとすると、で、問題はその「確率的」というのが見かけ上のことなのかそうでないか、だ。つまり、情報が不足しているために物事が一見確率的に起こっているか(くじ引きが当たりかはずれか、みたいな話ね)、それとも本当に確率的にランダムにしかものごとが起こっていないのか、ということが議論になった。で、色々試した結果どうも前者の解釈では辻褄のあわないことがいくつもあるだろうということはわかってきたのだが、問題は前者後者の線引きでこれがそう簡単ではなく、「観測」が混乱の原因だというのはわかってきたんだが、本当に物理的に意味のある「観測」とは一体何か、ということで揉めたわけだ。その話の中で一番極端な例として挙がってきたのが「シュレーディンガーの猫」というわけなんだが、確かにこの解釈を否定する根拠も難しかった。まして実験で確かめるとなると原理的にも装置の制約上も問題が当時はあった(現在でもある)。

実用上の問題としては、こんな細かい話を無視しても「使う」ことは十分可能で、例えば半導体を作ったりするときにはこんなことは気にしなくてもよかった。それで、現在に至るまで大半の物理学者化学者はこの話を棚上げして理論を「使う」側にまわっているんだが、一部でどうしてもこの問題が気になるという人がいて、本業のかたわら時々手を出したりしているというのが現状なんだよ。

http://anond.hatelabo.jp/20080320014414

俺もシロウトなんだけどね。

別に、「観測したことが観測対象に影響を与える」なんてことは全然珍しいことでもないんだよね。

というか「観測は必ず観測対象に影響を与える」というのが量子力学なんじゃなかったっけ?

古典力学は観測者を系に含めないけれど、実際には系外から観測することは出来ない。

そこで、系に観測者も含める事で、初めて量子力学のような微小領域の記述が出来るようになった、ってことじゃないのかな?

でもって、シュレーディンガーの猫なんだけれど、結局あれは一番わかりやすく真っ当な見方、解釈の仕方はどれか、って話だよね。

鉛筆に重さを感じるのは、地球鉛筆に引き合う力が働くから、と考えるのか、地球に向かって落ち込む空間に抗い加速させてるから、と考えるのか、そんな話じゃないのか?

2007-12-18

http://anond.hatelabo.jp/20071218004349

物質の移動速度の限界だから、物質を飛ばすことで情報通信をするのであれば、それで正解。

しかし、情報は物質を飛ばさないと伝わらないものであろうか?量子力学におけるテレポーテーションなど、古典力学の枠組みを超えたなんらかの現象により、情報を飛ばす事は可能になるのではないだろうか。

2007-11-28

http://anond.hatelabo.jp/20071128133837

だよな。「文学哲学は除く」と言ってるし。

増田が言いたいのは、「古典力学を学ぶのに、プリンキピアの原著を読む必要はないんじゃないか」っていうようなことだと思うんだが。

例に挙げた「孫子」「戦争論」「君主論」なんかは思想史の理解といった意義があるから読まれているとしか言えん。

古典を読む意味」は、結局「目的による」ってことで。

2007-11-06

増田になる前に身につけておくべきNの常識 ver. 1

近年、増田知的レベル低下が指摘されている[1][2][3]。

ゆとりなのか無能団塊なのかはよくわからないけど、

とりあえず必用な知識を列挙しようぜ。

具体的な書物にまで昇華できたらラッキーってことで。

とりあえず、漠然と書いてみるな。いるかいらないかはわからん。

他にある?参考書知ってたらよろしく。

-日本語
--作文能力
-英語
-科学哲学
--論理学
--統計学
-マクロ経済
-古典力学
-数学
-C言語

2007-10-11

量子実体の「問題」がようやくわかってきた気がする

えらく時間がかかったんだけど。どのくらい時間がかかったかと言うとたっぷり20年かかったんだけど。ブラケット記法で考えるのが多分一番近道だよな。

状態1をあらわす<φ1|があって、状態2をあらわす|φ2>がある。で、状態1から状態2に遷移する確率は<φ1|φ2>であらわされる。

これがブラケット記法。ただし、結果は複素数なので本当の確率は結果の絶対値であらわされる。そこはあんまり本質ではない。問題は状態1をあらわす<φ1|が行ベクトルだってこと(状態2は列ベクトル)。ベクトルの長さは無限大。それぞれの要素は複素数。二つのベクトル内積をとるから、結果はスカラー複素数確率になるけど、じゃ、遷移する(内積を取る)前って何なのよってことになる。

で、上の|φ2>を観測された状態(たとえば右の穴を通った)と考えると、観測することによって、古典力学で理解可能な「右の穴を通る確率」に落ちてきた。確率スカラー。でも、観測する前は確率に対応する複素数無限個もつベクトルってことになる。

俺の理解だと「じゃぁ何かい」って言ったのがシュレーディンガー

<φ1|を、観測前のブラックボックスの中の猫の状態と考える。|φ2>は観測後に猫が死んでいる状態とする。猫が死んでいる確率が<φ1|φ2>であらわされるのはいい。スカラー確率だから。だけど、観測前の猫が<φ1|ってのはどういうことだ?ベクトルの要素の数が無限だということは、猫は無限個の「ありえる状態」の重ね合わせってことかい?そんな馬鹿な話はないだろう

これがシュレーディンガーの猫のパラドックス。中年に差し掛かって量子力学に手を染めたシュレーディンガーが、青春時代から量子革命に首を突っ込んだ世代についていけなかったことをあらわすエピソード。ていうか、これがまっとうな感性だよな。

古典力学では式のそれぞれの項に実世界と連結する意味がある。たとえばa=f/mって式は加速度を求める式だけど、その計算に必要な質量と力は、ちゃんと実生活にあるものとして理解できる。だけど、ブラケット記法では、左のブラ、右のケットに対応する古典物理学的な意味がない。実生活からの体験で理解できない。ブラケット演算を行って初めて理解可能な確率が出てくる。シュレーディンガーの抗議は量子実体を古典物理的な体験で理解できないとする姿勢への抗議だった。

で、量子力学革命のスター、ハイゼンベルグはこう答えた。

そうだよ、重ね合わせになってる。変に思えるけど、そうなってる。理由は知らない。

量子実体は古典的には理解できないよ、と。これはその後「量子力学料理本だ。背景の原理は知らなくていい。正しい結果が出るのだから」というCookbook派の中心教義になる。

もう少し突っ込んで考えると、我々は量子力学においては遷移確率としてか事象を捉えられないことになる。遷移しないものは認識できない。観測しないものは古典力学的実体を持っていない。こう考えると

我々が観測しないとき、事象は存在しないのと同義だ

という極論が出てくる理由もわかる。

…と、理解しているんだけど、これでいいかな。

2007-09-06

http://anond.hatelabo.jp/20070906092822

対象の概念 (古典力学 or 量子力学) 内の諸概念 (たとえば古典力学なら力とか速度とか) 同士の関係性のグラフ

対象の概念と隣接する概念関係性のグラフなんてのを考えて、対象の概念同士の関係グラフ

つまり古典力学関係グラフ量子力学のそれとを比較するってのはどうだろう?

根底の考え方としては、ある概念を外部的との関連性によって意味づける、てな感じ。

% そういえば自動証明系で似たような事を考えたなぁ。。とか。

% せんせーに怒られた苦い思い出なり。

近似そのものの定式化

ある概念間の近似をなぜそれが近似である(例. 古典力学量子力学の近似である)と言えるのかとか、その近似の度合を数学によって定式化できないだろうか。

2007-09-05

http://anond.hatelabo.jp/20070905170808

ええと、言いたいことがまとまらないのでばらばら書きます。

ハードディスクメモリ上の情報構造物が dense であるとか sparse であるとかいいますよね。当然何かその情報構造物について「密度」を考えているわけですが、その単位はよくわからないものです。気体の「体積」「1分子あたりの熱エネルギー」「モル数」はそれぞれ違う次元の数ですが、ディスク上の情報構造物の「占有領域」「最低/平均ブロックサイズ」「圧縮した場合のバイト数を表現するのに必要なレジスタ幅」はまったく意味が違うのに、いずれもバイト数で表されます。これは情報科学の根底にあるトラブル原因ですが、いまは統計力学情報理論の間に安易な橋渡しができないことだけを意識してください。

ただ、気体でも極端に自由度の低い系(絶対零度近くとか、強い磁場の下にあるとか)では体積は圧力にも温度にも比例しないでしょう。それと似たような話として、自由度の低い情報構造物は情報理論の適用外です。個々のビットの間の関係恣意的であって、あまり統計的扱いに向かないからです。

古典力学の前提で、粒子間の引力も斥力も無視するとボルツマン統計量子力学ならボーズ統計フェルミ統計に従うという話ができますが、すべてのアプリケーションが書き出すビット列にそういう統計を考えることはできるでしょうか?

アプリケーションの各論を展開できるほど柔軟で包括的な数学を使えば、情報構造物のミクロ理論は好き勝手に展開できるでしょう。ただ、それはアルゴリズムの単なる記述ではありませんか?

http://anond.hatelabo.jp/20070905170808

古典力学は近似であって、

光速近くみたいな極限状況だと、

質量とか時間とかがおかしくなると。

 

情報理論は近似であって、

実はなんらかの極限状況だと、

エントロピーの性質とかが(?)おかしくなるとか。

 

妄想するとすごく面白いなぁと思った。

情報という概念が何らかの概念の近似であるという可能性

古典力学量子力学の近似ととらえた場合に、情報科学における情報という概念もひょっとしたら情報を包括するようなさらに高次な概念の近似なんじゃないかなと思うんです。ここで書いているのは量子情報のことではなくて、情報そのものの高次な概念があるような気がするんです。

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