はてなキーワード: 中絶とは
裁判長「母親としてあるべき愛情が見いだせない」検察側「自己の欲望や幸福を満たすためには子供の命を犠牲にしても構わないという、母親としては考えられない自己中心的で身勝手極まりない動機」懲役14年
「障害児として生まれない権利」確立を回避するための法律を可決
CiNii - 日本におけるwrongful birth訴訟と障害胎児の妊娠中絶
CiNii - 障害胎児中絶は是か非か : 人は自然を「主」とすることなしに正しさを主張し得るか
heartbreaking. レイプされて出来た子供を堕胎するか否か
Amazon.co.jp: なぜ人を殺してはいけないのか―新しい倫理学のために (新書y (010)): 本: 小浜 逸郎
「母親としてあるべき愛情が見いだせない」「自己の欲望や幸福を満たすためには子供の命を犠牲にしても構わないという、母親としては考えられない自己中心的で身勝手極まりない動機」懲役14年
基本的な4つのカースト(ヴァルナ・四姓)
ブラフミン(サンスクリットでブラーフマナ、音写して婆羅門(バラモン))
神聖な職に就いたり、儀式を行うことができる。ブラフマンと同様の力を持つと言われる。「司祭」とも翻訳される。
クシャトリア(クシャトリヤ)
王や貴族など武力や政治力を持つ。「王族」「武士」とも翻訳される。
ビアイシャ(ヴァイシャ)
商業や製造業などに就くことができる。「平民」とも翻訳される。
スードラ(シュードラ)
一般的に人々の嫌がる職業にのみ就くことが出来る。スードラはブラフミンの影にすら触れることはできない。「奴隷」とも翻訳されることがある。先住民族であるが、支配されることになった人々である。
カースト以下の身分
カースト以下の人々もおりアチュートという。「不可触賎民(アンタッチャブル)」とも翻訳される。力がなくヒンドゥー教の庇護のもとに生きざるを得ない人々である。にも拘らず1億人もの人々がアチュートとしてインド国内に暮らしている。彼ら自身は、自分たちのことを『ダリット Dalit』と呼ぶ。ダリットとは壊された民(Broken People)という意味で、近年、ダリットの人権を求める動きが顕著となっている。
日本で行われている中絶手術は世界的に見たらリスクが高い危険なものらしいよ。
明らかに中絶医療は,他の国々と日本の医療レベルが極端に違う事例のひとつです。諸外国では1970年代の中絶合法化以来,中絶といえば局所麻酔のみで診療室で行える吸引法と呼ばれる比較的手軽な処置のことだと思われてきました。1980年代には,フランスで開発される妊娠のごく初期に人工的に流産を引き起こすRU-486という名の薬が開発され,1990年代をかけて多くの国々がこれを合法化し,プロライフの反対の強かったアメリカでさえ2000年に解禁されました。2003年にWHO(世界保健機関)が発行した「安全な中絶」という報告書のなかでも,初期中絶については吸引法とRU-486が最も安全だと明記されています。ところが日本では,半世紀以上も,よりリスクの高い全身麻酔を用いて,掻爬と呼ばれる旧態依然たる外科手術が延々と行なわれ続けてきました。WHOの報告書では,掻爬は他の安全な方法が採れない場合の代替策でしかありません。なのに日本では他の国々とは違って吸引法が常識になっていないばかりか,ミフェプリストンの輸入は禁止され,解禁に向けた議論さえ始まっていません。さらに,他の先進国ではルーチンとなっている中絶カウンセリングや精神的なケアも皆無です。敗戦後,日本は人口政策のために世界に先駆けて中絶を合法化しましたが,今や,世界に名だたる中絶後進国になっているのが実態です。
単純に気持ちいいから生でやりたい
↓
これで覚悟って言われてもなあ。
精神的なことは? 肉体的なことは?
結婚でもするってか?
それで本当に責任取れるとでも思ってるの?
あー・・・。
でも男側の、中絶じゃないほうの選択肢に対する覚悟というか、思いというか考えみたいなものは気づかれることすらないんだよな。
2年くらいずっと友だちで(お互い別の相手がいたときから)、半年くらい前に付き合おうかってことになったわけだけど、ちなみに向こう社会人1年、わたし大学院生。セックスするとき、やったら「妊娠したらどうする?」とか「つけてほしい?つけなくてもいい?」とか聞くので、いちいち拒否ってたのだけど、毎回聞くな避妊当たり前だろバカと思ってたら、前の彼女を中絶させてたことを告白しよった。びっくりしてたら「そんな(前の彼女みたいな)思いはさせないから…」と足撫でてきたけど、いやいやお前、言ってることとその前にやったこと思いっきり矛盾してるやん。反省してるなら生を要求するな。
なんかもー男女関係を続けるのはムリだと別れさせていただいたけど、なんでつけないでやろうとするの?と問い詰めたら、「そりゃ…単純にきもちいいから…」と本能に忠実なお答えが返ってきたので、それでコトが起こったら困るの分かってるんじゃないの?とさらに聞いたら、「だって…産むにしてもおろすにしても経済的に責任は取れるなあって思ったし…」だと。
こういう考えの人、いるだろうなとは思ってたけど、2年も仲良くやってきてちょっと好きだった人がこんなやつだとは思わなかった。セックスして初めて分かることってあるのねえ。こわいなあ。
あー、そうだね、種ないとできないね
でも女のほうが体張ってますから。
中絶するにしても避妊(ピル飲む)にしても体への負担を考えたら男よりは責任取ってるんじゃね?
ヤりまくりたいから種とる男っているの?
男はどう逆立ちしたって妊娠も中絶もできやしない → 精子様は誰が提供するんだよ?
やや真面目な男が、主体的な性生活を謳歌している女性に対して羨望の眼差しを向けている → 羨望じゃねーし。「種巻きが性の男のまねしてバカな尻軽女」と思ってるだけ
それで主体的な性生活を謳歌している女性を非難するのはナンセンスだと思うけどね。 → 羨望じゃねーから、ナンセンスでもない。尻軽女を尻軽女といって何が悪いんじゃボケ
「淫乱な女って好きだなー」という男と「淫乱な女は嫌いだ」という男がいれば、後者に対して不快感を感じていた。
女は複数の男に身体を開いても、自らの身体で最終的な責任をとることになる。
責任をとれる者が責任を持って主体的に行っている行動に対して、責任をとれない者が非難がましいことを言う姿が理不尽に見えていた。(男はどう逆立ちしたって妊娠も中絶もできやしない)
しかし最近は、そういう自分の立場を自覚して、自分が節操のない性生活を送りたくても責任を取りえないので立場的に送ることができないと考えるやや真面目な男が、主体的な性生活を謳歌している女性に対して羨望の眼差しを向けているのかもしれないと考えるようになり、どちらかというと哀れみを感じるようになった。
セックスの回数、あるいは有無が愛情と比例するわけでも反比例するわけではない。
お互いを求めあう形の一つとしてのセックスを忌避する物でもないと思う。
セックスだけの関係と言うのはある。これは個人の快楽の追求だ。他人にはどうでもいいことだ。
立場(愛される側であったり地位であったり)を利用して優位に立ってセックスを強要する場合は強要される側の不幸と不憫さがあるので批判が生まれる。
僕は増田の回想の中に愛情をみつけたし、その過去を増田は愛しく思っているのだろう。
望まれない妊娠は不幸の元なので(中絶は合法的な殺人と思ってます、当人達も辛いだろうと思いますし)否認は当然だが、増田はきちんとそれを行っている。やるべきことはやっている。その上での妊娠はもはや個々人に求められるリスクコントロールの範疇ではない。
あなたは、少なくとも現在わかる限りの情報では批判されることなど何もないのだ。
と少し援護する。